濱野 隼大 君
- 留学期間 2016年2月~2019年12月 4年間
- 留学先学校 ロトルアボーイズハイスクール Year10~Year13
留学を考え始めたのは、僕が小学5年生の時、地元のラグビースクールで海外のチームと交流があったのが最初です。
中学校に入り、海外に留学したいという気持ちが強くなり、自分で調べるようになりました。キックオフNZさんをネットで見つけ、キックオフNZの上野さんにニュージーランドラグビー留学について詳しく伺う事ができました。
まだ中学生だった僕は、日本を離れてニュージーランドへ単身留学するのに不安がありましたが、留学前に、ニュージーランドのラグビーの事、学校、寮やニュージーランドの文化について沢山の情報を母や僕に教えていただき、安心して留学に臨むことができました。
僕がキックオフNZを他の人に勧めるとすると、やはり現地でのサポート力です。
留学1年目の慣れないうちは、学校や寮に訪ねてきてくれて、調子はどう?困った事はない?などといつも心配してくれました。ラグビーアカデミーの時間には、動画や写真を母に送っていただき、母も僕が元気にしている事が分かって安心したと思います。
僕が体調を崩し入院する事になった時には、毎日病院にお見舞いに来てくれて、アイスクリームや日本食なども持って来てくれました。
また肩の怪我でニュージーランドの病院で手術する事になった時も、どの様な手術をするのかなどを一緒に聞いてもらって、不安な事がない様に、医師に質問もしてもらい、日本にいる母にも詳しく伝えてもらいました。
留学スタート時に、上野さんとゴールセッティングをしたのもとても良かったです。
やはり一人でゴールセッティングをすると、大雑把な目標になるのですが、上野さんとする事で、いつまでに何をするかなど、今までの他の留学生の経験をもとにアドバイスをくれるので、今年何をしたらいいのか目標をはっきりさせる事ができました。
ラグビー面では、地域代表や1stXVになるには、どのぐらい練習するのか、留学終了時にプロになるには留学4年間でどうするかなど、目標を決めました。その甲斐もあり、留学した時に設定した目標、「留学終了時にプロのオファーがある」を達成する事ができ、神戸製鋼に入る事ができました。
学業面でも、物理や英語など難しい科目で単位を取るにはどうすればいいのか、何学期までにどのぐらい単位を取っていればいいかなど、的確にアドバイスをくださり、Level 1,2,3 全てMerit でパスし、全ての教科もMerit 以上でパスする事ができました。
そのおかげで、高校最後の年にはschool prefect に選ばれ、ニュージーランドの大学のスカラーシップが貰えるほどにまでなりました。
上野さんのアドバイスや明確なゴールセッティングがなかったら、きっと怠けてしまっていたと思います。
僕がニュージーランドの学校に留学して思った事は、真面目に努力すればする程評価してもらえる、という事です。ニュージーランドの大学入学は、日本と違って入学試験などなく、高校3年間の授業で取った単位で決まります。3年間授業でしっかり頑張れば、必ず結果はでます。
僕がこの留学で学んだ事は、努力をし続けてさらに上を目指す事です。
初めは英語も分からなかったので、授業でボードに書かれた事をとりあえずノートに写して、寮の夕食後にある自習時間に、今日の授業で何をしていたのか訳して勉強しました。
また、テストや課題でachieved を取った時は、空いた時間に先生にどうしたらMerit 以上を取れるか聞きに行って、必ずMerit 以上を取るようにしました。寮に学校の先生がいたので、分からない時は聞く事もできました。
ラグビーでも、チームの練習は週3日程度なので、自主練習をするようになりました。
1stXVで活躍している選手を見ていると、朝ジムに行ったり、グラウンドでフィットネスしていたので、僕も朝5時半に起き、4年間ほぼ毎日ジムに行きました。
ロトルアボーイズハイスクールは、ラグビーをするのにとてもいい環境なので、とても良かったです。日本の学校ではみんなと同じ事をする事が多かったのですが、ニュージーランドに行って、自分に何が必要かを自分で考えて行動する様になりました。
留学して無駄なことは1つもなく、この4年間は、自分にとって得るものだらけの素晴らしい日々を過ごせたと思います。
キックオフNZの上野さん夫妻には、留学中のサポート、アドバイスなど感謝でいっぱいです。4年間本当にお世話になりました!
(濱野 隼大)
「留学したい!」
中学1年のある日、息子が話してきました。
かなり繊細な面を持つ息子が必死で伝えてきた言葉。
「本当に留学なんて、1人で行けるのか…」
親としての不安を消し「言うのは簡単、思うのも自由。本当に留学したいなら自分でよく調べなさい。」
これが、息子と私のラグビー留学への第一歩でした。
数日後、『キックオフNZのラグビー留学』を見せられ、ここに決めたと言ってきました。
本気なんだと改めて私自身も留学について調べ、キックオフNZさんのホームページetc.読ませていただきました。
事務所はニュージーランドにありますが、相談会が日本数ヶ所で行われていました。
日本での相談会でエージェントである上野さんとお会いし、中学生の息子が1人で日本から離れ、本当に異国で生活していけるのか、又 金銭面や親としての不安、卒業してからのこと…。
留学をしてもいないのに、その時点で丁寧に詳しく、不安を取り除くかのように説明してくださいました。
初めて自ら物事を決め、実行しようとしている息子。言葉も文化も違う異国での生活。
ニュージーランドへ留学することを決断した息子のその気持ちを無駄にしてはいけないと考え、取り敢えず中学2年の夏休みを利用しての短期留学を始めました。
初日、言葉が思うように通じず不安でいっぱいになっていた息子に「帰って来るかー?」「帰らんわ!」と冗談まじりでビデオ通話したことを覚えています。
翌日には、トンガ人の友達ができたと、昨日とは違い明るい声で連絡がありました。楽しさが伝わり、私も一安心。
留学当初は息子とよく連絡を取っていましたが、日が経つにつれ、連絡は減り、用事があるときだけになり…こちらとしては寂しさもありましたが、楽しく過ごしている証!
そう思えるのも、キックオフNZさんから定期的に息子の様子のメールと写真や動画で元気に過ごしている姿を送ってくださっていたからです。離れていながらも安心していられ、いつも楽しみにそして感謝していました。
中学2年の2月から長期留学をスタート。
ラグビーでは、ベイオブプレンティー U16、チーフスU18、そして1st XVで楽しく頑張ってきました。
4年目の留学最終学年ではプリフェクト(生徒会のようなもの)にも選ばれるほど学校に馴染み、スラスラとスピーチをしている動画を観たときには本当に息子?と鳥肌が立つほどでした。
ラグビーだけでなく英語も身につけていたことは言うまでもありません。
もちろん良いことばかりではありませんでした。
股関節の炎症で高熱が続き入院したこともあります。脱臼で肩の手術もしました。
だからといって、私は何もしてあげられません。
しかし、たくさんの友人、先生やコーチの方々、特にエージェントである上野ご夫妻が入院する息子を心配してくれました。「いつも誰かが来てくれているから大丈夫」と息子は心強かったようです。
肩の手術の時には、上野様が全身麻酔、手術経過etc.逐一報告してくださっていたので、遠く離れた日本にいましたが、現地サポートが完璧なので、こんな状況の中でも安心して過ごすことができました。
ラグビーができない辛い時期も、今の自分にできる何かを探し、しっかり体力作りをしていたようです。
人に言われて動くのではなく、自分で考え、行動に移すという自身で行動することを身につけて帰ってきました。
ロトルアボーイズハイスクールを卒業後すぐに、日本のトップリーグ神戸製鋼コベルコスティーラーズへ入団しました。
また同時にジュニア・ジャパンにも選ばれました。
ロトルアボーイズハイスクールに留学して、ニュージーランドで学んだラグビーがあっての今だと思っています。
日本では大卒が一般的とされています。でも、隼大のように高卒で社会人になっても、ニュージーランドの高校の間に大学へ行く為の国の資格をとっておくと、いつでもニュージーランドの大学に入ることもできます。
今後隼大のように、ラグビー選手を夢見る留学生が増えてくると思います。でも大卒でないと…と心配される親御さんもいらっしゃると思います。
大丈夫です。色々な入学方法があることを隼大が証明してくれました。
日本とニュージーランド、私は応援し見守ることしかできませんでしたが、息子が選んだラグビー留学を実現したことは、息子にとって大きな自信となりました。
また留学させたことで、たくさんの国の友達との繋がりもでき、ラグビーに限らず息子自身の世界が広がりました。
一度私もニュージーランドへ行きましたが、息子の留学のおかげで私の世界も広がったこ
とに、今では息子に感謝しています。
最後になりましたが、上野ご夫妻には4年間隼大が大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
(濱野 隼大 母 美鶴)