自分で決めてやってみる
先日ニュージーランドの小学校のプライズギビングに行った。
開会前に音楽が流れていたのだけれど、入場してきた児童達がその曲に合わせて歌い始め、最後は全員で合唱のようになっていた。先生達もそれを聞きながら式の準備をしていたり、ニコニコ笑って一緒に口ずさんだりしていた。
また以前に同じ小学校のグラウンドで、先生が前に立って100人くらいの児童達と一緒に体操をしていた。ほとんどの児童は先生の動きに合わせて体操をしていたけれど、何人かは立ったまま先生を見ていたり、後ろに行ってしゃがんでいたりした。見ている私からすると、みんなと一緒に体操をしない児童達がとても目立っていた。でも先生は特に注意をすることもなく体操を終えた。
後ろでしゃがんでいた児童に聞いてみた。「なんでみんなと一緒に体操をしなかったの?」その子はこう言った。「みんなと一緒に体操をしたくなかったから」
何年か前、ロトルアの高校にオールブラックスがやってきた。1時間ほど選手達と生徒達がグループに分かれて話をした後、選手達が壇上に上がって挨拶をした。挨拶が終わったとたんに、ハカが始まった。選手達は壇上でじっとそれを見ていて、先生達も何も言わずにみんなを見ていた。
小学校で児童が何となく歌い始めて合唱になった時も、「先生、歌ってもいいですか?」などと聞く人はいなかったし、先生も止めることはなかった。体操をしていた時も、「体操しなくてもいいですか?」などと聞く児童はいなかったし、先生も体操をしない児童がいてもそれを受け入れていた。ハカが始まるときも、「先生、ハカを今してもいいでしょうか?」などと聞く生徒はおらず、先生も選手達も当たり前のようにじっと見ていた。
先生に許可を求めなくても、歌いたければ歌うし、体操をしたくなければしないし、ハカをする時だと生徒達が思えばそれをする。自分で判断して、やることやらないことを決めて、実行する。
ニュージーランドの学校ではよく見る光景だ。
もちろん、細かいところではその判断を間違って先生に注意されることもあるのだろう。そうやって、自分がしたいことと、しなければならないこと、してはいけないことを、学んで行くのだと思う。
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