ダイバーシティ
以前にこのブログでも書いたことがあるけれど、ニュージーランドはマルチカルチャーの国だ。様々な文化的背景を持った人たちが一緒に暮らしている。
ニュージーランドで暮らしている私の知り合いには、生まれたところが、ニュージーランド、日本、韓国、中国、トンガ、イングランド、インド、トルコ、オーストラリア、南アフリカ、ドイツ、台湾、米国、ロシア、パキスタン、フィジー、などの人たちがいるし、ニュージーランドで生まれた人でも国籍が様々だったり、マオリの人たちもパケハの人たちもいる。
日本でも最近は、「ダイバーシティ(多様性)」という言葉をよく聞くようになった。でも、日本で生まれて日本でずっと暮らしている人たちは、ニュージーランドと比べるとダイバーシティを毎日の生活の中で実感することは少ないだろう。
いろんな文化を持った人たちと一緒に暮らす。いろんな国籍を持った人たちの中で生活する。ダイバーシティを毎日肌で感じながら生きていく。それは、いろんな人がいて、異なる意見、異なる感じ方、異なる行動、異なる判断基準、異なる方法、などを持つ人たちと一緒に暮らす、ということだ。
そのためには、まずは、自分と異なる意見や感じ方、行動や判断基準を持つ人たちがいることを、「受け入れる」ことが大前提だ。「あの人は自分と考え方が違うからつきあわない」とか「あの人の行動は理解できないので無視する」というのではなく、「自分とは違うけれど、理解できないけれど、自分も他人と違うのだ」と考えて受け入れる。何もかもをそこから始める。
そして、自分と異なる人たちは、当然だけれど、自分と異なる意見を主張する。特にダイバーシティが当たり前のようにある国では、自分の意見を主張していかないと生きていけない。その時に、「あの人の言っていることは、自分の考えと違う」という理由だけで非難したり、排除したりすることは、マルチカルチャーの国ではできない。自分がそれをするのであれば、他の人も自分の意見を非難し、排除しようとするだろう。でもみんながそんなことをしていたら、マルチカルチャーの国は前に進まない。異なる意見の主張をまずは受け入れることが求められる。
ニュージーランドに留学をして学ぶことはいろいろあるけれど、人は一人一人違うことを受け入れ、自分と異なる意見や感情を排除せず、他人が主張する意見を聞きながら自分の意見も主張する、という態度を身に付けることもできる。それが「グローバルな感覚」の第一歩だと思う。
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