フェアであるということ

トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)が毎年公開している、腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index, CPI)で、2012年もニュージーランドが最も腐敗認識が低い国として1位を獲得した(デンマーク、フィンランドと同率1位)。ニュージーランドが1位になるのは実に7年連続だそうだ。

CPIは、公務員と政治家がどの程度腐敗していると認識されるか、その度合を国際比較し、国別にランキングしたものだ。調査結果は、10の機関が調査した、世界中のビジネスマンと国の分析専門家などに対する13種類のアンケート調査の報告書から作成されている、ということだ。つまり、世界中で行ったアンケート結果で、ニュージーランドは世界で最も公務員と政治家に腐敗が少ないと認識されている国の一つである、ということだ。

ニュージーランドが7年連続で1位となる理由はたくさんあるのだろうが、私はこの結果は、ニュージーランドの人たちの行動が「フェアかどうか」という基準に基づいているというのが大きな理由の一つだと思う。何かを判断したり行動したりするときに、「今から私が下す判断、今から私が行おうとしている行動は、フェアだろうか?フェアでないだろうか?」といつもニュージーランドは考える、ということだ。

例えば日本人であれば、「フェアかどうか」という行動基準ではなく、「他の人はどうしているだろうか?」とか「他人からどう思われるだろうか?」などという基準で、判断したり行動したりすることも多いと思う。つまり、フェアであろうがなかろうが、他の人がしていれば自分もするし、他人から悪く思われないのであれば選択肢の中からそれを選ぶ。それに対してニュージーランドの人は、他人がどうしていようが、他人からどう思われようが、フェアだと思えばやるし、フェアでないと思えば選択肢の中からそれを選ばない。

だからニュージーランドの人たちは、子どもの頃から「フェアとはどういうことか」についてよく考えているし、その機会も多いように思う。小学校の低学年の児童でさえ、「それはフェアでない!」などと言って怒ることがある。すでに彼らにとってはフェアかどうかということが、最も重要な判断や行動の基準となっているのだ。

では「フェア」というのはどういうことだろうか。それは日本語の「公平」という言葉が持つ意味とは少し異なるように私は思う。日本語の公平という言葉は、「クオリティ(質)やクオンティティ(量)がみんな一緒」という意味が強いように感じる。例えば、6歳と4歳の子ども2人で1つのクッキーを分けるときに、2分の1ずつに分けるのが「公平」だ。でも、6歳はお兄さん(お姉さん)なので少し我慢して小さい4歳の子に大きいほうをあげる、という方法もあるし、6歳の子のほうが体が大きいので大きいほうをもらう、という考え方もある。それが「フェア」だ。そして、ニュージーランドの子ども達は小さい頃から「どうすればフェアなのか」ということを実生活の中で常に考えながら大きくなっていく。そうやって、「フェアかどうか」という基準が判断や行動の重要な要素となっていく。

ニュージーランドは世界の中でもフェイスブックの利用率が高い国だ。フェイスブックはご存知のように実名で登録する。フェイスブックが流行り始めたときに「実名ってどうなの?」とニュージーランド人に聞いたことがあるが、「当たり前でしょう。なぜそんなことを聞くのか。」という顔をされた。文化の違いもあるだろうが、これも「自分で何かを他人に発信するときには、実名が「フェア」である」という意識がニュージーランドの人たちの中にあるのも一つの要因だと思う。

だから例えば、インターネットの掲示板やブログなどで、自分は匿名でいながら他の人や団体を実名で批判、非難する、などという行為は、全くフェアではない。自分は安全なところにいて他人にリスクを負わせるという行為は、フェアとは全く反対のところにある。

また例えば、政治家や公務員が自分だけの利益を考えて行動したり、賄賂をもらったりすることも、全くフェアではない。決定権や行使権を持つ立場にいる人は、常に判断や行動がフェアであるかどうかが求められるのだ。だからニュージーランドには汚職が少なく、腐敗認識指数で7年連続1位という結果になるのだと思う。

トランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)の2012年腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index, CPI)ランキングは以下のサイトからご覧いただける。

http://cpi.transparency.org/cpi2012/results/

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