学校の勉強が大切
このブログでも何度も書いたけれど、弊社の留学生たちには、自分で考える態度を身につけてほしいと願っている。
時代は大きく変わろうとしている。今までの日本ように、みんなと同じようにやっていればそこそこうまく行く、という時代は終わった。様々な情報の中から、自分で選択をして、自分で考えて、自分で行動することが求められるようになっている。
だから、弊社の留学生たちはみんな、留学期間が長くなるにつれて自分でよく考えるようになる。でも時には、考えても考えても同じところをぐるぐる回ってしまう、ということもあるだろう。
それはおそらく、知識と経験が足りないのだと思う。
考えても考えても同じところをぐるぐる回る、というのは、考えがつるつると滑っているからだ。考えが巡るベースを、しっかりとした滑らないものにするためには、知識と経験が要る。知識を得ると考えが回っているベースが、つるつるしたものからざらっとしたものになって、考えを巡らせる間に、知識が引っかかってくる。そして知識に引っかかった考えは、途中で方向や速度を変える。方向や速度を変えた考えは、同じところをぐるぐるとは回らない。経験も同じだ。過去の経験が、考えに影響を与えて、一つのヒントとなり、違う方向に導くきっかけとなる。
そうやって知識と経験によって、ざらっとなった抵抗のあるベースで考えを巡らせることで、方向が見えたり、考えが深またりする。知識を増やし経験を積むことで、考えが同じところをぐるぐる回らないようになる。
知識を得るためには読書が一番だけれど、留学生に限って言えば、全員学校に通っているのだから、まずは目の前の学校の勉強にしっかりと取り組むことが大切だ。「学校の勉強なんて社会に出てからほとんど役に立たないよ」という人もいる。直接的には役に立ったという実感は私にもない。でも、学校で得た知識が、考えを巡らせる時に気付かないうちにヒントになっていることも多いと、年を取ってから実感する。
せっかく学校で貴重な時間を過ごしているのだから、目の前に差し出された情報を知識として頭に入れておくべきだろう。「こんなもの役に立つかどうかわからない」と思っても、気付かないうちに考えのヒントになることもあるのだ。
経験も同じだ。こんなことをしても、将来自分の役には立たない、と誰が言えるのか。目の前の経験の代わりに何か他のことをするのであればそれもいいけれど、目の前の経験に単にNoと言う必要もないだろう。知識は世界中の人がいつでも同じものを得ることも可能だけれど、経験はその時にその場でその人しかできない、一度きりの貴重なもので、経験をしたその人にだけ残るものだ。
今、「いくら考えても結論なんか出ない」とか「考えても考えてもわからない」とか感じている人は、今日一日だけでも、目の前の知識、目の前の経験を体の中に取り入れてみるといいと思う。それがいつどこで役に立つかなんて考えなくてもいい。そんなことは自分でさえわからないのだから。
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