得意なことと苦手なことは誰でもある
人間誰しも得意なことと苦手なことがあるだろう。
手先が器用な人もいれば、歌がうまい人もいる。数学が得意な人もいれば、文章を書かかせたら右に出る者はいないという人もいる。逆に、不器用な人、音痴な人、数学は全くわからないという人、そして書くのが苦手だという人もいる。
誰しもいろんなことが得意で、いろんな苦手なことがあって、それでいいのだと思う。
もちろん、全てのことがよくできる人もいるし、そんな人はすごいなぁと思うけれど、みんながみんな全てのことができなくても全くかまわない。
でも、例えば、カラオケに行って音を思いっきり外して歌う人は、聞いている人がずっこけて笑いになって盛り上がることもあるけれど、学校で数学ができなかったり文章が書けなかったりする人は、先生や親に「なんでできないんだ」と注意され、しかも「頑張ればできるはずだ。宿題をきちんとやってきなさい」などとプレッシャーをかけられる。
なぜだろう。カラオケで音を外して歌う人はそのままでいいと言われるのに、数学や作文ができない人は、学校で注意された上でもっと頑張ってできるようになりなさいとなぜ言われるのだろうか。
もちろん、大人になって生きて行くのに、最低限の「読み書きそろばん」の力があるのは理想だろう。でも、人によっては、どうしても数学ができなかったり、どうしても文章が書けなかったりするのだ。それは、どうしても音を外してしまう人と、「がんばってもなかなかできない」という意味では同じだろう。
世の中にはほんとうにいろんな人がいて、自分が簡単にできることができなかったり、逆に自分が努力してもできないことを簡単にやりこなしたりする人がいる。それでいいのだと思う。
だから、自分が想像も理解もできない人がいることを前提に、みんながいろんな人の個性をまずは受け入れるところから始めるのがいい。
「なぜこんな簡単なことができないのか」などと言わず、「いろんな人がいて、自分が簡単にできることができない人もいるし、人が簡単にできることが自分ができないこともある」ことを理解して、そんないろんな人と一緒に生活して行くのがいいのではないだろうか。
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