物差しが違う
またコミュニケーションの話になるけれど、話をしていてもどうもうまく会話が弾まないことがある。
いろんな理由があるだろう。お互いに聞き手にまわる人同士なら、どんどん話が盛り上がることはないかもしれないし、そもそも共通の話題に欠ける場合もあるだろう。また、お互いに忙しいなどタイミングが悪いこともあるだろうし、一緒にいる他の人達との関係も影響するかもしれない。
でも中には、会話自体は結構進むのだけれど、何となく最後までかみ合わない、という場合もある。
そんな時は、ひょっとしたら自分と相手との物差しが異なっているのではないか、と考えてもいいと思う。
おそらく誰でもその人によって、物事を見る目、世界を計る基準などは少しずつ異なっていて、それは、その人の生まれ育った環境とか、教育とか、宗教とか、文化とか、いろんなものによって作られる。
そしてたまに、その人が持っているある基準、つまり世界を計る物差しが自分と大きく異なっている人と出会うことがあるのだと思う。
だから、キログラムで重さの話をしていても、相手がオンスだと思っていたらどうもかみ合わないし、こちらがメートルを使って話をしていても、相手がフィートを使っていればお互いの言っていることを正確には理解できない。
そのようなことが、重さや長さだけではなく、普段の会話の中にでもあるのではないか。
例えば、以前にこのブログでも書いたけれど、見ず知らずのフランス人女性を家に住まわせていた友人に、「危険なことはないの?」と質問しても、「そんなことは考えたこともないよ」と一笑に付される。例えば、起業してはビジネスを大きくして売るということを繰り返している人に、「日本では終身雇用制というのがあるんだ」と言っても、実感として理解してもらえないだろう。
考え方が違うと言えば簡単だけれど、その考え方の違いを生み出しているのは、世界を異なる物差しで見ているからなのだと思う。そもそも見えているものが違うのだ。
何となく話がかみ合わない時。どうも相手の言っていることが理解できない時。いろんな理由はあるのかもしれないけれど、相手との物差しが異なっているのでは、と考えてみてもいいのかもしれない。
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