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平等というのは、それぞれの違いを受け入れるところから始めるのであって、決して全てを同じにならしてしまうということではない。

例えば、10歳と5歳の男の兄弟がいて、一つのケーキを二つに分けて食べるとする。一つのケーキを均等に分けて兄弟それぞれが食べることが、その兄弟にとっては平等と言えるだろうか。確かにケーキ自体は均等に分けられているのだから、ケーキにとってはそれは平等と言える。でも、兄は10歳で弟よりも5歳も年上だ。きっと兄のほうが体も大きいし、普段から食べる量も多いだろう。同じケーキの量だと兄の空腹に対する満足度はかなり下がることが考えられる。

だから、体の大きさや普段の食べる量を考えて、兄のケーキを弟のケーキよりも大きくするという方法もある。それも平等と言えると思う。

逆に、弟はわずか5歳で兄は5歳も年上なのだから、兄は我慢して弟に大きい方を与える、というのも、精神的な成長に応じて考えれば、平等と言えるかもしれない。

平等であることを考えるとき、まずは一人ひとりは決して同じではない、という前提に立って考えることが必要だ。その上で、それぞれの人にとって、あるいは、全体にとって平等ということはどういうことなのか、さらに深く考える必要がある。

どういう方法でそれぞれの人が平等を手に入れるのか。それに対する答えはすべての人が同じではない。平等のキーワードは、「違う」ということなのかもしれない。