正解などいらない
ニュージーランドの小中高校の授業やスポーツのコーチングを見ていると、必ずと行っていいほど、指導する人が子ども達に何度も質問をする。
「次はどうすればいいでしょうか?」「何が必要でしょうか?」「足りないものは何だったのでしょうか?」そして、「あなたはどう考えますか?」
質問されたニュージーランドの子ども達は、「次は前に進めばいい」「何かの道具が必要」「時間が足りなかった」「私はこれに対しては、反対の意見です。何故なら・・・」などと気軽に答える。みんなが黙ってしまって誰からも答えが出てこない、ということはほとんどない。
先生やコーチ達は、その一つ一つの答えを、「うん、そうだね。」とみんなの前で必ず一旦受け入れる。そして子ども達から出てきた答えをもとに、その後の指導を見事に進めていく。
そして日本からニュージーランドに来た留学生達も、この「先生やコーチ達からの質問」にさらされることになる。
でも例えば、日本からの留学生だけのグループで同じように先生やコーチ達から質問を投げかけられると、一瞬その場に緊張が走り、誰も答えようとしない。
そんな光景を何度も目にして、ニュージーランドの子ども達と日本で教育を受けてきた子ども達は、何が違うのだろうかと考えた。
日本からの留学生達は、先生やコーチから質問されたとき、全員が必ず「正解」を探して答えようとする。「先生やコーチは一体どんな答えを求めているのだろうか」「正しい答えはなんだのだろうか」と条件反射的に考えて、必死で正解を探している様子がわかる。
そして、誰かが答えると、「いや、そうではなくて」と正解ではなかった部分を指摘して、より正解に近い答えを子ども達だけで探す作業が始まったりする。
先生やコーチは困った顔をしている。何故なら彼らは「正解」を求めているわけではないからだ。子ども達から出てきた答えを使って、理解の度合いを見たり、次の指導につなげたり、次の指導方法を変えたりする。だから、何でもいいから、間違っているとか正しいとか関係なく、今その場で思ったことを子ども達から引き出し、それを全員で共有したいのだ。
ニュージーランドの子ども達は、そんな先生やコーチの思いがわかっているのかいないのか、とにかくその場で思ったことをどんどん口にする。間違ったらどうしようとか、正解はなんだろう、などとは考えないし、そんなことが求められるとも思っていない。
日本とニュージーランド、どちらが「正解」なのかわからない。ただ、これからの子ども達にどんな教育、指導が必要なのを、考える一つのヒントになるだろう。
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