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7歳の娘が通うロトルアの小学校の教室には、タブレット端末が数台置いてあり、教室の壁には42型のフラットテレビが設置されている。先生だけではなく、児童もそのタブレット端末を使って授業をすることがあり、先生が使うときには、タブレットの内容をテレビに映して、教室の児童みんなで共有することもある。

日本では、デジタル教育を推進しようとしているようだが、根強い反対もあるようだ。コストがかかるとか、先生が対応できないとか、教材が無いとか、反対理由はいろいろあるだろう。でも、やろうと思えば、教室に2~3台のタブレット端末を持ち込むところからやってもいいのではないかと思う。まあそうすると「みんな一緒にできないので不公平だ」という、お決まりの批判も出るだろうが、いろいろと言う前に一度実際にやってみて、だめなら修正して前に進んでいくのも一つの方法だろう。

私は数学が苦手で、特に立体図形を頭の中で把握する能力が極端に欠けている。だから、平面の黒板や教科書、ノートではどうしても表現することが難しいそのような図形の授業を、タブレット端末やコンピュータを使ってやってもらえると、きっと理解が進む児童や生徒も増えるだろうと思うし、私が小学校のときにそんな授業があったなら、今頃は数学博士になっていたかもしれない。ちょっと言いすぎだけれど。また、宇宙の仕組みや、逆に体内の仕組みを映像で見ることができれば、もっと興味深く授業を受ける生徒や児童も出てくるだろう。

また、スポーツの指導などでも、生徒の動きをビデオで撮影して、重心の移動やボディポジションなど体の動きを分析し、プロのスポーツ選手の動きと重ねて、違いを理解するなどということもできるだろう。すでにプロスポーツ界では当たり前のようにやっていることが、おそらくこれからはデジタル教材を使って、高校や中学、小学校でも実践することができるだろう。そうしているうちに、気合を入れれば体が動くなどといって体罰で生徒を動かすような体育の指導もなくなるかもしれない。

また、インターネットを使って、海外とやり取りをしながら、地理や歴史、文化や言語なども学ぶことも可能だ。小学校のときに、プランテーションなどという言葉は習った記憶があるが、それがどんなものか、どんなところでどんな人達がそれにかかわっているのか、全くわからなかった。でも、実際にプランテーションで働く人達とネットでコミュニケーションを取るという授業も可能だろう。そこでさらに言葉の壁を認識し、日本語以外の習得の必要性を実感する、という生徒や児童も出てくるかもしれない。

そう考えると、デジタル教育は、紙で作った教科書に印刷された文字や写真や図形を眺めている授業では得られないもの、生み出せないものが出てくる可能性を秘めている。

でも、デジタル教育の是非などということを議論している大人たちを尻目に、「デジタル教育をわざわざ取り出して今までの教育と分ける意味がわからない。」というデジタルネイティブの若い人達がどんどん出てくるのだろう。家でiPad やスマートフォンを日常的に使っている小中高校生が、学校で紙の教科書を使って鉛筆でノートに板書を写す、という授業に違和感を感じないわけがない。彼らには、デジタルが当たり前で、言い換えると、デジタルとノンデジタルの境界線自体も存在していないのだから。