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ホームドクターに「まだ以前に出した薬は飲んでいますか?」と聞かれたので、「はい、あの青いカプセルですね。」と返事したら、「青いカプセル?紫でしょう?」と言われた。

「えっ、以前に出してもらった薬ですよね?毎日飲む青いカプセルですよね?」と聞き返すと、「いーや、紫のカプセルです。」と強い口調で言われた。その時点では、お医者さんも私も同じ薬のことを言っていることはわかったのだけれど、悔しかったので、「青いカプセルでしょう。毎日飲んでるけれど、青いカプセルですよ。」と言ってみたら、「あれは、紫です。」とさらに強い口調で言われたので、「はい、わかりました。」と大人の返事をした。

家に戻って薬を見てみると、どう見ても青色をしていたのだけれど、ニュージーランドでは、なのか、そのお医者さんは、なのかわからないけれど、それを紫と呼ぶようだ。

同じようなことが、特に「色」に関して言えば、他の人との間にもたまにある。「私の職場はあそこの黄色の看板の横の建物だよ。」とある人が言うと、「黄色の看板?ああ、あのオレンジ色の看板ね。」などという返事が返ってくることがある。「いやいやオレンジじゃあなくて、黄色の看板。」といくら言っても「あれはオレンジでしょう。」となる。そこにもう一人が加わると、「レモン色だよ。」ということにもなるだろう。

同じものを見ていても、その色をどう表現するかは、人によって異なる。同じ薬、同じ看板を見ていても、一人は紫と言いもう一人は青と言う。また一人は黄色、一人はオレンジ、そして3人目はレモン色と表現する。

色に関して言えば、そもそも見えている色自体が人によって異なることもあるだろう。サングラスをかけて見れば色が変るのと同じように、それぞれの人の目のフィルターを通せば、黄色がオレンジやレモン色に見えても不思議ではない。

そして、例え全く同じ色に見えていても、人によってそれを「黄色」と言うのか「オレンジ」や「レモン色」と言うのかも異なるだろう。つまり、同じものを見ていても、それを言葉にするときには、選ぶ言葉が人によって異なる。それは、それぞれの言葉に付加する意味が、人によって異なるからだと思う。

例えば、ある人が「うれしい」という言葉を使って自分の気持ちを他人に伝えようとする時、言葉を発した人の「うれしい」という気持ちと、言葉を聞いた人が受け取る「うれしい」という気持ちは、きっと少し違うだろう。言い換えれば、言葉を発した人が「うれしい」という言葉に付加した意味と、それを聞いた他人が「うれしい」という言葉に付加する意味が異なる。

そう考えてみると、人と人が言葉でコミュニケーションをしていても、そのコミュニケーションに参加している人全てが、同じ理解をしているとは全く限らない。ある人が「黄色」という言葉を使っても、聞いた人が同じ「黄色」を頭に描いているとは限らないし、「うれしい」と言ってもそのうれしさが聞いた人に正確に伝わっているかはわからない。

だから、そもそも言葉のコミュニケーションには限界があり、常に不完全なのだ。つまり、言葉で伝えたから、私の言おうとしていたことは相手が自分の理解と同じように受け取っている、と考えるのは間違いで、言葉のコミュニケーションの限界と不完全性を前提に他人と接しなければならない。

日本語を母語とする人同士のコミュニケーションでもそうなのだから、第二言語となるとなおさら限界があり不完全だ。だから、日本語を母語とする留学生がニュージーランドに留学に来て、第二言語の英語でコミュニケーションを取れば、当然誤解が生まれるし、理解できないこともたくさん出てくる。それは当たり前のことで、英語力を云々する以前に、言葉のコミュニケーションの持つ限界と不完全性ゆえのことなのだ。留学中、英語で話す他人のことを完璧に理解するなんていうのはできない話だし、この単語の意味はこういうことだ、と覚えても、実際に使われている意味は人によって少しずつ違う。だから、誤解を恐れず、理解してもらえないことにめげずに、自分の言葉でどんどんコミュニケーションをはかるのがいい。