子どもの人生は親のものではない
親は子どもに、「将来はこんな人になってほしい」と願って育てる。
世の中のために貢献し、人望があり、健康で、本人や周りの人がいつも幸せを感じている。そんな人になってほしいと望む親も多いだろう。
でも、子どもが小学生になり、中学、高校と進むにつれて、「こんな人になってほしい」の中に、「こんな職業に就いてほしい」とか「こんなくらいの収入を得てほしい」と親は考えるようになる。こどもがきつい仕事を長時間して少ない収入で生活することを望まないのは、親としては当然だろう。
職業や収入に対する親の思いはだんだん大きくなっていって、こんな職業につけばこれだけ多くの収入を得ることができて、それだけが子どもの幸せなのだと考えるようになって、他のことが目に入らなくなる。
そして視野はだんだん狭くなり、この学校でこんな教育を受けて、こんな資格をとり、こんな会社に就職して、たくさん収入を得ることが、唯一子どもが幸せになる道なのだと考えて、その親の思いを子どもに託す。
小学生のときから塾に通い、家庭教師をつけて、中学を受験し、高校1年生になったらすぐに大学受験の準備を始める。そしてできるだけ就職に有利な大学や学部に入って、できるだけ時間単価あたりの収入が多い職業に就くことをゴールにする。そしてそのゴールに到達するために、子どもが毎日の時間をどう使うのかを、全て親が考えて決める。
そこには、子ども自身が将来こんな人になりたいとか、今こんなことをしたいとか、子どもが持っている夢や希望や興味は入る余地がない。
子どもがいろんな友達と遊びたくても、いろんなところに行きたくても、絵を描きたくても、他のスポーツをしたくても、映画を観たくても、ゲームをしたくても、ダンスをしたくても、ふと旅に出かけたくても、学校行事に参加したくても、ボランティアをしたくても、学校をさぼりたくても、それが、親が望む将来の職業や収入に直接結び付かないなら、子どもにはやらせない。
そんなことをしても将来稼げないじゃないか、とか、そんなことをしていたら希望の大学に入れないじゃないか、とか、そんな理由で、子どもが望むことを親は否定する。
そして、親が望む職業や収入に少しずつ到達していく子どもの姿をみて、親は安心するのだ。
それでいいのだろうか?
子どもの人生は子どものものだ。親がいくら希望しても、自分の夢を託しても、子どもが望まないのなら、それは子どもの人生ではないだろう。
もし親の望むような職業につき収入を得たとしても、それで子どもが幸せでないのなら、子どもが、自分がやりたいことをやってこなかったと後悔したのなら、なにかが間違っていたのだ。
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