さっちゃんが自分のことをさっちゃんと呼ぶのはなぜだろう

ニュージーランドで生まれて家では日本語を使う娘がまだデイケアに通っていた頃、先生に「この子は、自分のことを自分の名前で呼ぶんですね。おもしろいです。」と言われたことがある。

日本では、小さいこどもは自分のことを自分の名前で呼ぶことが多いだろう。さっちゃんは、自分のことをさっちゃんって、呼ぶ。特別おかしくはない。「さっちゃんは、先生のことが大好き!」などと言う。

でも、英語を第一言語とする子どもは、デイケアの年齢でも、自分のことは「I(アイ)」だ。ミッシェルという名の女の子が英語で、「ミッシェルは、これがほしい」とは言わないし、ボブという名の男の子が英語で、「ボブは、今日は楽しかった」とも言わない。必ず主語は「I(アイ)」を使う。

日本語ではたとえば母親が子どもに何かを言うときでも、「おかあさんはね」などと言うし、教師が児童に何かを言うときでも、「先生は」と言う。

日本語では、相手が自分のことを呼ぶその呼称を、相手に対しての自分の主語として使うのだ。だから、いつも周りから「さっちゃん」と呼ばれているサチコさんは、自分のことを「さっちゃん」と呼ぶんだよ。おかしくはない。

そう考えると、いつもミッシェルと呼ばれているミッシェルや、いつもボブと呼ばれているボブは、なぜ自分のことを、「I(アイ)」と呼ぶんだろう?日本語のように、周りの人が自分を呼んでいるそのままの呼称を、自分を表す主語として使うほうが、子どもにとっては自然なように思う。

もしかすると英語を第一言語とする人達は、「自分のことは、I(アイ)と言うのですよ」と子どもの頃に何度も何度も繰り返し大人から言われるのではないだろうか。「あなたが自分のことを言うときには、「I(アイ)」なのだ」と何度も言われる。

そしてそうすることで、主語を「I(アイ)」と表現するようになると同時に、自分は、(周りの人が自分のことを呼ぶミッシェルではなく)「I(アイ)」という「私自身」なのだ、という自覚が生まれてくるのではないだろうか。

他者と関係づけられた、ミッシェルと誰かから名付けられた人間ではなく、他者との関係とまずは切り離された存在である独立した「私」なのだ、と。

もしそうであるならば、子どもの頃から「私は」「僕は」と自分を表現している人と、「さっちゃんは」と表現している人の間には、「私自身」に対する自覚や認識の違い、あるいは、自分と他者との関係に対する自覚や認識の違いがあるのではないだろうか。

子どもの自分に対する呼び方の違いを思いだして、ふとそんなことを考えた。

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