三匹の子豚から考える

三匹の子豚というおとぎ話がある。

いろんなストーリーがあるようだけれど、お母さん豚が三匹の子豚を自活させるために、家から出させるところから話が始まるのは、ほとんど共通だ。

一匹目の子豚はわらで家を建てる。二匹目は木の枝で、三匹目はレンガで家を建てる。その後、オオカミがそれぞれの家にやってきて、わらの家は吹き飛ばされ、木の枝の家は壊されてしまう。

でも、レンガの家は壊されず、最後はオオカミが子豚にやっつけられて終わる。

いくつかのストーリーとして、最初の二匹の子豚がオオカミに食べられ、三匹目の子豚がオオカミを熱湯が入った鍋に落として食べてしまう、というパタンもあるようだし、三匹ともレンガの家に避難して、オオカミをやっつけて追い払う、というパタンのストーリーもあるようだ。

どちらにしても、三匹の子豚がわらと木の枝とレンガで家をつっくって、最初の二つはオオカミに壊されて、レンガの家を作った子豚が評価されて終わる。

確かに、レンガで家を建てるのが一番大変だし、結果的にそれが功を奏する。だから、時間がかかっても、大変なことや努力をすればいい結果が待っている、という因果応報的な教訓が得られるとされるのだろうし、いろんな事態を想定して準備をすることが必要だ、ということを読み取ることが求められもする。

でも、価値観が多様化しているグローバルな今の時代、わらや木の枝で家を作ることが一概に悪いとは言えない、という考え方も十分できるだろう。

わらで作った家はオオカミにはやられてしまうだろうけれど、作るのは簡単だし時間もかからない。その余った時間に、例えば家の周りに塀やワナを作れば、オオカミ問題は解決する。木の枝の家も同じだ。

その上、この物語、オオカミが来ることが大前提だ。けれど、豚が家を建てても、必ずしもオオカミが来るとは限らない。もしオオカミが来る可能性が限りなくゼロに近いのなら、わらでも木の枝でもかまわないだろう。逆に、レンガの家だと費用対効果が悪い。

そもそも、そんな子豚達を三匹とも同時に家から出す母豚の判断も、どうなのだろう。三匹の「子豚」だから、子どもだろう。そんな子ども達が家を出た時点で暮らしていくアコモデーションさえアレンジしていないのは、保護者としてリスク管理ができてないと言われても仕方がない。

また、オオカミ目線で言えば、最初にレンガの家を作っている子豚を攻める、という方法もあっただろう。レンガの家を建てるのは時間がかかるのだから、完成前にそこから攻めれば、もっと違った結果になったかもしれない。オオカミの情報収集能力と戦略の立て方に疑問が残る。

もともと一緒に暮らしていた三匹の子豚なのだから、一緒に一軒の家を建ててもよかった。オオカミが来ても、三匹いれば何とかなったかもしれない。毛利元就の三矢の教えは知らなかったのだろうか。なぜ家を一緒に出たのに、一匹ずつ分かれて暮らしたのだろう。ストーリーによっては、最後にはレンガの家で三匹仲良く暮らしましたとさ、となっているのだから、最初から仲良く暮らせばよかったのだ。あまりにも無計画だろう。

そしてこの物語には、子豚の周りの社会がほとんど出てこない。子豚がわらで家を建てているのを見たら、大人だったら、「このあたりはオオカミがでるので、わらで家を建てるのはどうかと思う」くらい言ってやってもいいだろう。

また、「あなたは一人で暮らそうとしているの?兄弟がいるのなら、一緒に暮らせば?」とアドバイスする人がいてもいい。

もしニュージーランドだったら、「家ができるまで、うちで暮らせばいいよ」と声をかけてくれる人もいたかもしれない。

このストーリーでは子豚たちが、社会から完全に切り離されているように見えるのも、問題だ。

子どもの頃に読んだ話からいろんな教訓を学んだ。でも時代が変われば教訓も変わる。三匹の子豚から読み取れる物語も変わってくる。

子どもの頃に得た教訓は、本当に今でも、これからも、その通り使えるのだろうか。三匹の子豚からそんなことを考えてみてもいいかもしれない。

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