AI時代に「相手」はいるのか?
仕事やプライベートでホテルなどに泊まった時、連泊するときでも、部屋を出る前にはできるだけ掃除がしやすいように片付けて出ていくようにしている。
衣類はまとめて、キッチンも片付けて、ゴミも捨てやすいようにして、使ったタオルはわかりやすいようにおいておく。
それは一つは、部屋を掃除してくれる人のことを考えるからだ。掃除をする人は一日にたくさんの部屋を担当するだろう。その時に、散らかっている部屋や汚れた食器がシンクに置いてある部屋よりも、ある程度片付いている部屋のほうが、簡単に掃除できるだろう。
そう思って、できるだけ整えて部屋を出る。
でも、これからもしAIを使ったロボットがホテルなどの掃除をするようになったら、どうするだろうか。
部屋を掃除してくれる人のことを考えるからある程度片付けるのなら、「人」ではないロボットが片付けるようになれば、散らかしたまま出ていくだろうか。それとも、今まで通り掃除しやすいように片付けるだろうか。
そんなことを考えていると、ホテルだけではなく、今後あらゆる場面でAIのロボットが仕事をするようになった時、それまで、そこにいる「人」のことを考えて行動していた私達は、やり方を変えるだろうか。
もし、ホテルの部屋を整えて出る理由が、「人=相手」ではなく自分の信条であれば、ロボットが掃除しても、同じように行動するかもしれない。でも、その理由が「人=相手」のことを考えた結果だとすると、散らかしたまま部屋を出るようになるかもしれない。
さらに考えを進めると、子ども達がホテルの部屋を散らかして出ようとして、親が「ちゃんと片付けて出なさい」と注意をした時、「だって、掃除するのはロボットでしょう?」と子どもに言われたら、親はなんと言えばいいのだろうか。
ニュージーランドでは、バスのドライバーさんにも乗客は「Thank you」と言うし、スーパーのレジでも、リテイルショップでも、観光地でも、どこでも「人=相手」に対する感謝やリスペクトの言葉が聞かれる。けれど、「相手」がAIのロボットになったら、それはなくなるのだろう。
これからいろんな場面で「人」が「AIロボット」に置き換わっていく。
「人=相手」がいなくなった時、根本的なところでなにか大きな変化がおこるように思う。
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