みんなが5時だと言うから5時なのだ
金曜日のこのブログでも書いたけれど、昨日からデイライトセービングが始まった。
ニュージーランドでは土曜日ベッドに入る前に、家の時計を1時間進めた人が多かっただろう。ちなみに、スマホやPCは自動的にデイライトセービング時間に変わるようになっている。
そして日曜日の朝7時に起きたら、前日までの6時だから、「時計は7時を指しているけれど、昨日までならまだ6時だから早起きだ。」と思う。
月曜日の今日も、朝5時に起きたら先週までの4時だから、「まだ早い」と必ず思う。あくまでもデイライトセービング前の時間が基準だと頭で考える。
でも、3~4日もすれば、デイライトセービングの朝5時は5時だし、夜7時は7時だと考えるようになる。
何が言いたいかと言うと、今○○時だ、というのは、5時だと思えば5時なのだ。もっと言えば、その地域や国に住んでいる人みんなが、「今5時です」と「決めてしまえば」5時なのだ。デイライトセービングが始まるということは、そういうことだ。
時間なんてそんな程度のものだ。
もうすこし考えると、時間以外にも、ものすごく大切で動かせないと思っているものが、実は、みんなで一斉に「今日からこうだ」と「決めてしまえば」その国や地域ではそうなる、ということもきっとあるだろう。
もっと言えば、ある国や地域で、ものすごく大切で動かせないとみんなが思っていることでも、一歩そこを出れば簡単に変更可能だったり、どこか違っていたり、全く存在さえしなかったり、ということもあるだろう。
ただ単に「みんなでそう考えたり、そう決めたりしたから、そうなのだ」つまり、「多くの人がそう思い込んでいるから、そういう事実があることになっている」ということが、身の回りにも意外とあるかもしれない。
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