空気は読まない

最近は日本でもKYという言葉はもう使わないのだろうか。

以前は、空気を読まない人に対してKYという言葉がマイナスのイメージとして使われていたように思う。今ではどうなのだろうか。

どちらにしても、私はKYで全然かまわないと思う。その場にいる人全てがその場の空気を読むことにエネルギーを使えば、結局誰も望まない方向に話が進むことがあるし、後からなんだか違うと思っても、「あの時はそうするしかなかった」と誰もが言うことにもなる。

ニュージーランドの人達は、基本的に空気は読まない。自分の考え、自分の感情、自分の判断を比較的はっきりと言葉にして人に伝える。もちろん、その伝え方は人それぞれだし、コミュニケーションのスキルとして、空気ではなく相手の立場や気持ちを考えるけれど、それによって自分の意見や感情を偽ることもないし、言いたいことを何も言わずにやり過ごすこともほとんどないし、異なる意見に表面だけ同調することもない。

日本からの留学生を見ていると、年齢にかかわらず、空気を読もうとしているように感じることがある。その場の空気に合わせて、自分の言うことや行動、判断を変える。その場の空気によって何が自分に求められているかを必死で探し、それに合わせて動く。そして空気の力に振り回されて、疲れてしまう。

もし日本でどうしても周りの空気を読むことができなかったり、空気を読んで疲れてしまったり、空気など読まないと決めていたりする人がいれば、一度そんな日本を出て、留学に来てみればいい。

空気など読まなくても、楽しく生きていける世界があることがわかるだろう。

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