正々堂々と戦うことを誓わなくても

夏休み、日本では、甲子園での高校野球が盛り上がっていると思う。

ニュージーランドではあまり見られない光景だけれど、日本の高校野球やスポーツの大会では、開会式があってそこで選手宣誓が行われる。今ではどうなのかわからないけれど、私が日本にいた頃の選手宣誓には、ほとんど必ず「正々堂々と戦うことを誓います」という言葉が入っていた。

この「正々堂々」について考えてみた。ネットで意味を調べてみると、「公正で偽りなく、真正面から事を行なうこと。」「 態度や手段が正しくて立派なさま。」「正しく整っていて勢いの盛んなさま。 」などと書かれてある。

英語で言えば、「Fair」に近い意味だと思う。

そして、このFairという言葉はニュージーランドでよく耳にする。なぜなら、ニュージーランドの人達は、「Fair」であることに重きを置く人が多いからだ。

何かがあるとき、Fair かUnfairか、という視点で物事を考え、判断し、行動する。Fairという基準が判断や行動の上位に置かれている。小学生などでも、「それはUnfairだ」などと言って怒っていることもあるので、おそらく家でも親御さんがそのように言っているのだろう。

正々堂々の反対語は何かと考えると、おそらく、「卑怯」あたりになるのだと思う。「勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。」という意味などと書かれている。

ネットで少し調べてみると卑怯な人の特徴として、「正攻法で物事に取り組まない」「自分が常に安全な所にいようとする」「自分は動かずに他人を動かす」などが挙げられている。

正攻法を避けるというのは、嘘をついたり裏工作をしたりすることだ。また、安全なところにいようとするというのは、他人を危険やリスクにさらしても自分は安全を確保することだ。そして、自分は動かないというのは、自分の代わりに他人を動かしてリスクを避ける、ということだ。

暮らしている環境で人は変わると先日このブログで書いたけれど、ニュージーランドで、フェアであろうとする人達の中で暮らしていると、気付かぬうちに、フェアかどうかが行動の基準になってくる。逆に言えば、卑怯な行動を避けるようになる。嘘をついたり、他人だけ危険な目に遭わせて自分は高みの見物をしたり、リスクを避けるために他人をそこに追いやったりする行動に、拒否反応を覚えるようになる。

フェアであろうとするニュージーランドの人達の中で暮らしていると、正々堂々と戦うことをわざわざ誓わなくても、卑怯なことを避け、正々堂々と振る舞うようになってくるだろう。

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