全米一位
映画などは特にそうだけれど、「全米一位!」という見出しの広告が日本で出ている。
これを見て、「それならおもしろそうだ、見に行こう」と思う方はどのくらいいらっしゃるのだろうか。
全米一位はすばらしい。その国で一位になることができるものは、そう多くない。ものすごく高い評価だと思う。でも、昨日のこのブログ「どれが人気がありますか」でも書いたけれど、ニュージーランドの人たちなら、全米一位という見出しを見てその映画を見に行こうと思う人は、おそらく日本ほど多くないと思う。「USAの人たちはおもしろい映画だと思ったかもしれないけれど、私はそうは思わない」と考えるからだ。
おそらく日本でもそろそろ「全米一位」という言葉が持つ意味と影響力が変わってきているのではないかと思うが、どうだろうか。私が子どもの頃は、全米一位と言えば「全人類が一人残らず評価した」くらいの勢いだった。肌が白い人を見たら必ずそれはアメリカ人だと思っていた時代だ。道を歩いている外国人に子ども逹が「ハローハロー」と話しかける光景が見られたし、外国から来た人は誰もが米国から来た英語を話す人だと思っていた。
でも、当たり前のことだけれど、今はインターネットなどで世界中の情報が子どもでも得られる時代で、世界には色々な国があり、色々な人が暮らしていることを、みんな知っている。米国の人たちが評価した映画が必ずしも誰が見てもおもしろいとは限らないことも、わかっている。そんな時代に、「全米一位」という言葉に、人々を映画館に足を運ばせる力がどれほどあるだろうか。
「全米一位」の大きな見出しを見て、その言葉の影響力を過大に見積もっているような違和感を感じるのは、私だけだろうか。
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