受験勉強それ自体はいいけれど

かなり前のこのブログでも何度か書いたけれど、私はどちらかと言えば、日本の受験勉強に対しては肯定派だ。

理由を二つあげると、大学受験レベルの知識や理解力は社会に出てから必要なことが多く、それらを身に付けておくことは将来役に立つというのが一つ。

また、受験勉強には、自制心と忍耐力、集中力と判断力、また、孤独と戦いながら嫌なときでも机に向かい続ける気力、そして計画と実行というタイムマネージメント、総合的なセルフマネージメントが必要で、受験勉強を通してそんな力もつけることが可能だというのがもう一つの理由だ。

しかし、受験勉強にはマイナスの面もたくさんあることも理解している。

例えば、ほとんどの試験は「与えられた問題に対する正解を、決められた時間内に一つだけ求める」形式になっていること。

だから、「時間をかけて、正解があるかどうかさえわからない問題を自分で探し、それを自分自身に問い、様々な可能性を吟味して、複数の何らかの結論を導く」という力をつける機会がないこと。

また例えば、80%の得点で合格できる場合は、試験時間残り15分で新たな問題に取り組むよりも解答済みの80%の答えをもう一度見直すことに時間を割くのがよいとされるなど、損得をベースにしたテクニックが過剰に求められることなどもマイナス面の一つだろう。

そして最近もう一つ強く感じるのは、ほとんど全ての場合「受験システム全体」として厳密な相対評価になっている点が、システムとしての決定的なマイナス面だと思う。

受験勉強の結果が相対評価であれば、自分よりもいい結果を出した人が一人でもいれば、一番には絶対になれない。

だから、クラス、学校、地域、受験者全体などで、偏差値による厳密な相対評価が行われると、必ず周囲の受験生と自分とを比べる習慣がついてしまう。

そして、私はこれだけ勉強して、この部分をこれだけ理解している、という到達度よりも、私は○○さんよりもこの部分でこれだけ得点を高く取った、という相対的な結果だけをゴールにするようになる。

そうなると、クラスでも学校でも受験者全体でも、全ての人が敵になる。そして、自分と周囲=敵とをつねに比較することで自分の評価を得るようになり、結果的に、高い評価を得るためには常に周囲の人に勝つことが必要だ、と考えるようになってしまう。

もっと言えば、周囲の人の評価が下がることで自分の評価が上がることを期待する人も出てくる。

つまり、周囲の人をリスペクトしたり、期待したり、応援したり、一緒に進んで行ったり、そんな態度で人と接することが難しくなる。むしろそんな態度で周囲の人と接するのは、受験システムの中では邪魔でしかないだろう。

受験勉強はいい部分もたくさんあると思う。でも、それが一旦日本の受験システムに乗っかって、全てが相対評価になってしまうと、大きなマイナス面が立ち現れてくるのだ。

受験勉強肯定派(2008年4月11日)

受験勉強(2013年10月11日)

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