ネイティブ並の英語力

普段いつも日本語を使っていると、慣れない英語を使った時、逆に日本語がとても簡単に感じる。

英語だと自分の伝えたいことがなかなか伝わらないけれど、日本語だときちんと伝えることができる、と思う。でも実際には日本語で自分の伝えたいことを相手にきちんと伝えることができているのかどうかは、わからない。

何か言葉を発するとき、その言葉の中に自分が伝えたい意味を乗せて相手に伝える。例えば、「あなたのその帽子、とても似合っているよ」という言葉には、発信者が感じた気持ち、相手を褒めたいという感情、その帽子や相手のことが好きだという気持ち、などが乗せられている。

そして、その言葉を聞いた相手も、伝えられた言葉に自分なりの意味を乗せて解釈をする。とても似合っているという言葉には、自分のセンスを褒められたと感じるかもしれないし、自分はどんな帽子も似合うんだ、という意味に解釈をするかもしれない。お互いにどういう意味をその言葉に乗せたとしても、双方の意味に大きな違いがない場合は、問題なくコミュニケーションが行われる。

しかし、たまには発信者と受け手が同じ言葉に乗せる意味が大きく異なる場合もあるだろう。受け手が「帽子は似合っているということは、服は似合っていないということだろう」とか「実は全く似合ってないのに、皮肉って言っているのだろう」などという意味を乗せて解釈をすることもあるかもしれない。

どんな意味を乗せるのかは、お互いに、立場やその時の状況によって変わる。つまり、文脈によって言葉の意味が変わる。だから、言葉を使って何かを伝えようとする時には、言葉そのものが持つ意味はもちろんのこと、コミュニケーションにおける文脈を考えて使う必要がある。

そう考えてみると、日本語であってもコミュニケーションはとても難しい。ならば、第二言語である英語でコミュニケーションを取ることは、ものすごく大変だ。留学生がよく「ネイティブ並の英語力をつけたい」と言う。確かに、単語の意味や発音は勉強をして経験を重ねればネイティブに限りなく近づくこともできるだろう。でも、文脈を考えながらコミュニケーションができるようになるには、言葉以外の「文脈」の理解が必要だ。それは、文化の違いであったり、考え方の違いであったりする。

だから、第二言語として英語を使ってコミュニケーションを取っている我々に対しては、英語ネイティブの人達は、私達が文脈をよく理解していないことをわかってくれて、我々が発した言葉の意味をうまく彼らなりに翻訳して理解してくれることもある。

「ネイティブ並の英語力」を単に「言葉の理解と発音」という意味でとらえるのなら、英語という教科だけを勉強すればいいだろう。おそらくそれは日本にいてもある程度はできるし、ネットでもできるのかもしれない。でも、その時、その場の文脈を理解して英語を使ったコミュニケーションができることを「ネイティブ並の英語力」というのであれば、実際に異文化の国に来て、日本と異なる文脈の中で英語を駆使しながら使い方を覚えていくしかないだろう。

キックオフNZのSNS