今日が楽しければそれでいい

今日一日の枠の中で生きよう、というのは、よく言われることだ。

明日の不安、昨日の後悔など全てを一緒に背負えるほど人間は強くない。だから、過去や未来を見つめるのではなく、とりあえず今日一日を精一杯生きてみよう、という意味だろう。

でも、今日がよければ、今日が楽しければそれでいいんだ、と刹那的にこの言葉を解釈する人もいるようだ。今日一日の中で生きるということは、自分がやってきた過ちを反省せず、将来に対する準備もせず、ただ享楽的に今日を生きればいい。

どちらも、今日一日のことだけを考えると、「楽」な生き方だ。でも、意味は全く違う。

根本的に違うのは、前者は、今日一日を自分から積極的に行動していいものにしようという能動的な考え方なのに対して、後者は、自分はなにもしなくても今日一日が楽しければそれでいいのだ、という受動的な考え方だ。言い換えると、今日一日に自分から働きかけて、自分で何かを作りだし、それによって楽しさを感じるのか、今日という時間の中で、自分はじっと動かずに、誰かが何か楽しいことを準備して与えてくれることを待つのか、の違いだ。

もっと言えば、自分が行動して今日という日を自分自身で作り、それを楽しいものにして、そういう今日の積み重ねによって長い時間、人生を楽しくする、ということなのか、それとも、与えられた環境の中で自分はなにもせず、その中からたまたま自分に触れた楽しいものだけを楽しみ、同じような一日を明日も過ごし、気がつけば自分からは何もせず何も成し遂げなかった人生になるのか、ということだと思う。

今日一日の行動が、将来を決める。今日を楽しく過ごすと言うことは、周囲が準備した楽しいことに単に触れることではなくて、自分から行動し楽しみを自分で作り出すことで、そんな一日一日を重ねていくことだ。

そして、自分から今日を楽しく過ごす為に、どこにいて、何をして、どんなことを話し、誰と一緒に過ごすのか。それがその人そのものであり、その人の人生を決めるのだ。

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