親の願いと子どもの希望が違うとき
ほとんどの親は、子どもに、こんなふうになってほしい、こんなふうに成長してほしいという願いを持っている。理想とか目標と言ってもいいかもしれない。
だから、親は子どもに、こうしなさいとか、これをしてはいけませんなどと言う。そして、親が子どもにこうなってほしい、という方向に導くのだ。
でも、親がこうなってほしい、こんなふうに成長してほしいと思っている方向と、子どもがこうなりたい、こんなふうに成長したいと思っている方向が、いつも同じだとは限らない。
その二つが大きく違う時、親は子どもがいうことを聞かないと思うし、子どもは親はわかっていないと感じる。
本当は、子ども自身がこうなりたいと思う方向に向かって行けばいいのだと思う。
でも、それが親の願いと違う時、親は子どもが間違っていると感じ、なんとか親の願い通りに子どもを動かそうとする。言い換えると、自分の願い通りになるように子どもをコントロールしようとする。 子どもをしつけるとか、教えるとか、導くとか、そんな大義名分を使って、親の願い通り子どもをコントロールしようとする。
「いやいや、何を言ってるんだ。子どもはまだ未熟だから、いろんなことがわかっている大人が考える方向に、導いてやればいいのだ。」とおっしゃる方もいるだろう。
確かに、子どもはまだまだ未熟だし、大人の方が全体も将来も見渡すことができるのかもしれない。でもだからといって、子どもがこうなりたいと思っていることと親がこうなってほしいと思っていることが違うとき、どんな時でも親が願う方向に子どもを導くことが、正しいのだろうか。
子どもが芸術家になりたいと思っているのに、親は偏差値の高い大学に行きなさいと言う。 子どもが友達とゲームで遊びたいと言うのに、親は子どもに外でスポーツをしなさいと言う。
親は自分が正しいと思うから、その正しい方向に子どもを導こうとする。でも本当にそれは正しい方向なのだろうか?
時代はどんどん変わっていく。子どもは時代の変化に敏感だ。新しいものをどんどん取り入れて、新しい知識をどんどん身に付けていく。それに対して大人が知っていることは何だろう?経験という名の固まった古い知識の中で、ずっと動かずにぐるぐる回っているだけではないのか。
親が言うことが正しいことも沢山ある。未熟な子どもが何もわかっていないことも当然ある。
でもいつもいつもそうだと決めつけて、親の願い通りに子どもをコントロールすることは、子どもの将来にプラスになるのだろうか。
中学生の子どもを持つ親として、自戒を込めてそんなことを考えた。
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