指導や叱責より共感
中学高校留学生の現地サポートをする時、どうしても、大人として子どもである彼ら彼女らに何かを教えてやろう、という態度になる。
私達のほうが彼等彼女らより何でも知っていて、何でもできて、いつでも正しく、適切な判断をする。そんなふうに思ってしまう。
確かに私達は、 親元を離れてニュージーランドで暮らす十代の未成年の彼ら彼女をしっかりと保護する立場だし、時には何かを教える立場でもある。
でも、常にどんな時でも彼ら彼女より私達の方が何でも知っていて、何でもできて、何に対しても正しく、適切な判断をする。そんなふうに思い込んでしまうのは、やはりおごりすぎだろう。
そんな思い込みを持った態度で彼ら彼女らに接していると、常に、彼らに対して「指導」や「叱責」ばかりをしてしまう。
でも十代の留学生の立場に立ってみれば、話をするたびに「指導」され「叱責」される大人の言葉が、心に響くだろうか?ものすごく面倒臭くて厄介だと感じるのではないだろうか。
もちろん指導や叱責が必要なこともあるだろう。でも毎回毎回そればかりでは、こちらの言葉が相手に届かなくなる。
彼ら彼女らとのコミュニケーションに必要なのは、指導や叱責よりも「共感」なのだと思う。
まずはフラットに、彼等彼女らの話を聞いて、なるほど、と感じる。
最初から、自分たちのほうが何でも知っていて、何でもできて、正しくて、適切な判断をするなどと考えず、もしかしたら、相手のほうが知っていることもできることもあって、自分の考えや判断が間違っていることもあるかもしれないと、頭に入れておく。
それは現地で留学生をサポートする我々と彼ら彼女らの関係だけではなく、親と子ども、教師と生徒、コーチと選手などの関係にも当てはまるだろうし、もしかしたらどんな人間関係でも同じかもしれない。
今年も留学生達がニュージーランドに到着する時期だ。現地でサポートする私たちは、まず彼ら彼女らの 話をよく聞いて、共感できるところは共感する。もう一度そこから始めてみようと思う。
キックオフNZのSNS