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日本では学校の成績もそうだろうし、受験対策の試験などもそうだけれど、ほとんどの場合偏差値(=相対評価)で成績が出る。

偏差値についてはこのブログでも何度か書いたけれど、それはその人の成績が他の人と比べてどのくらいの位置にいるのか、という数字だ。つまり相対評価だ。言い換えると、人と比べた成績だ。

そして、学校の成績や受験対策以外でも、いろんなところで相対的な評価が行われているようにも思う。

でも、そもそもなぜ他人と比較して評価するのだろうか。

もちろん、小中高校そして大学受験では入学定員が決まっていて、定員以上の受験生がいて成績順に合格するなら、相対的に高い成績を取らなければ合格できない。そういうシステムになっているのはわかる。

でもだからといって、受験以外の何らかの評価で、人と比べる必要があるのだろうか、と思う。もう少し言えば、学校の成績や受験対策で、人と自分とを比べて評価することが当たり前になりすぎていて、あらゆる「評価」が相対評価になっているようにも思うし、親や先生が子どもを見るときに、無意識に誰かと比べて評価する習慣がついているようにも思う。

例えば絵が得意な子どもがいたとすると、その子の絵だけを見て評価をすればいいのに、「○○君はもっと上手だよ」とか「△△さんは、県の展覧会で賞を取ったんだから、あなたも賞を目指しなさい」などと、ついつい比べてしまう。また例えば、スポーツでも、その子の得意な部分や過去と比べて伸びた部分、また現在頑張っている部分を見て評価すればいいのに、「□□君は、ずっとレギュラーだからあなたもレギュラーになれるようにがんばるのだよ」とか、「××さんはこのスキルがすごくできるのに、あなたはそこが弱いね」などと、人と比べて評価をしてしまう。

人と比べないと子どもを評価できないようになってしまっていると思うくらい、無意識に「他の人はどうなのだろう」とか「全体でどの位置にいるのだろう」と、子どもを見るときに考えてしまう。

人と比べて評価をされた子どもはうれしいだろうか?うれしくなくてもやる気は出るのだろうか?評価をした大人を信頼するだろうか?

もし社会のシステムが相対評価を求めているのなら、それもある部分は必要なのかもしれない。でも、全てに渡って人と比べて評価をする必要は全くないだろう。

一度自分の子どもや関わりのある子ども達を評価するときに、誰かと比べずにその人だけを見て評価をしてみてもいいのではないか。そしてそれに対する子ども達の反応を見てみると、ひょっとしたらその評価のほうが子どもは伸びていくのかもしれないし、悩むことも少なくなるかもしれない。