問いを出されるとつい答えを探してしまう
「そんなことをして、危なくないの?」と聞かれたとする。
すると多くの人は、「危なくないよ!」などと答える。それに対して「危ないだろう!だって、そんなことをすれば、こんなリスクがあるのでは?」とまた返ってくる。それに対してまた、「そんなリスクはどうにでもなるだろう!」などと答える。
この会話は最初から、そんなことをすると危ないのか危なくないのか、という会話になっている。
私もそうだけれど、誰かに何かを問われたとき、反射的にその問いの答えを見つけて返そうとする。
「危なくないの?」と聞かれると、危ないか危なくないかを問われているのだから、そして自分は危なくないと考えるのだから、「危なくない」という答えを見つけて返す。
「リスクがあるのでは?」と問われると、リスクがあるのかないのかを問われているのだから、そしてリスクはどうにでもなると自分は考えるのだから、「どうにでもなるだろう」と答えを返す。
でも実際の状況では、たとえば、危ないか危なくないか、が問題ではなくて、「自分がそれをほんとうにやりたいのかどうか」が問題だったりする。それなのに、誰かに「危なくないの?」と問われると、問題はそこなのだ、と無意識に考えてしまって、その問いに対する答えを探してしまう。
言い換えると、このような会話は、問いを発した人のその問いが前提となって進む。つまり、問いを出した人のペースで話が進んでいて、何が問題なのかをその問いを発した人が決めている。
ほんとうは、自分がそれをほんとうにやりたいのかどうかが問題なのに、危ないか、リスクがあるかという問題にすり替えられている。
だから、誰かに何かを問われたときは、その問いに対する答えを反射的に見つけようとするのではなく、その問い自体を疑い、さらにその問い以外の自分の問いを見つけて、それを相手に発する必要があるのだ。
「危ないかどうかなど今は問題ではなくて、問題は、私がそれをほんとうにやりたいかどうかなのだ」と相手に問い返す。
誰かに何かを問われたとき、それが問題ではないのだ、問題はこれなのだ、と言えるかどうか。その力を持っているかどうか。そんなことも大切だと思う。
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