何度も言うけれど、やはり「多様性」と「受け入れる」が大切だ
このブログでも今までに何度も書いたけれど、やはり「多様性」と「受け入れる」という二つはとても大切だと思う。
人はひとり一人違う。私とあなたも違うし、父と息子も、母と娘も、A君とB君も、違う。もちろん、○○大学卒業生であってもみんなそれぞれ違うし、△△人と言ってもみんな個人個人で違う。
同じ組織に属していたり、同じ人種や同じ文化を持っている人達は、大まかに同じような傾向を持っているかもしれない。ひょっとしたら、出身学校によってもなんとなく色分けはできるのかもしれない。
でも、ひとり一人をよく見てみると、やはり同じ人はいない。
だからまずは、人はひとり一人違う、ということを前提にしなければならない。
違うということは、その人のことをよく見たり、よく考えたりしないと、理解できない部分がある、ということだろう。また、その人の言動や行動で嫌な思いをしたり、相容れないと感じたりもする、ということだ。
でも、自分と違う人と接している時、たとえ理解できなくても、嫌な思いをしても、相容れなくても、ただそれだけで、つまり自分と違うというだけで、その人自身を、あるいはその人の言動や行動を拒否してしまうのは、安易過ぎるだろう。
だって、人はひとり一人違うのだから。自分と違うというだけでその人を拒否していれば、結局自分以外の全ての人を拒否せざるを得なくなる。
「いやいや、気の合う人達といれば、拒否なんかしなくても楽しくやっていけるんだ」という方もいるだろう。でも、人は時間とともに変わっていくし、もともと知らなかったその人の部分が後で出てくることもある。また、いつもと違う話題になった時に、「あれっ」っと違いを感じることもあるかもしれない。
もしそうなれば、今まで気が合うと思っていただけに余計に、違和感を感じて、だんだん疎遠になることもあるだろう。
だから、いくら気の合う友達でも、人はひとり一人違うということが前提で、そして、その違いを拒否せずにまずは受け入れるところから関係を始めるのがいいと思う。
「あいつとは合わない」とか「あの人少し変わっている」とか「自分と違う」と感じる人が周りにいると、つい「もうつきあわない」とか「あの人変だ」とか「うまくやっていけない」と即座に感じて、最初からその人と接することを拒否してしまいがちだ。
でも、人はひとり一人違うし、自分だってその違う人の一人だ。だからまずは、違うという前提から始めて、違う人を最初は受け入れるという態度で接することが、とても大切なことではないかと思う。
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