NZで陪審員 – 推定無罪

昨日の「NZで陪審員 - 陪審員に選ばれた」の続きです。

12人の陪審員の一人としてある裁判に参加した。

その裁判はおそらく他の裁判よりも短期間で終わり、それほど複雑な内容ではなかったと思う。でも、陪審員として仕事を終えた後、かなりの疲労感があり2週間ほど取れなかった。疲労度は人によると思うけれど、私がかなり疲れたのは、やはり気になることがあったのも理由の一つだろう。

裁判の最初に、裁判官から陪審員全員にどのように評決を下すか説明があった。私が参加した裁判の場合は20分間くらい裁判官が最初に話をしたと思う。

その中で特に強く注意されたことは、評決は必ず裁判で提示された証拠に基づいて行われなければならないこと。いろんな人が裁判で証言したりするけれど、評決に同情を挟んではいけないこと。証言する人の表情や態度だけで判断してはいけないこと。なぜなら、真面目な顔をしてうそをつく人もいれば、おどおどしていてもほんとうのことを言う人もいるから。陪審員はそれぞれが持っている常識にも照らし合わせて評決をすること。

そんなことを、わかりやすく裁判官が我々陪審員に話をした。

そして、裁判の最後の弁護士や検察官の弁論や論告でも、証拠に基づいて判断してくださいと念押された。

一通り裁判が終わって、我々12人の陪審員は別室に移った。

罪状が複数あったので、一つ一つについてみんなで評議をしていった。そこで、評議の進行をする人が「この罪状についてどう思いますか?」と聞くと、それぞれが「私は有罪だと思う」などと発言した。私が気になったのは、それぞれの人の判断がどの証拠に基づいているのかが、はっきりと示されないことが多かったことだ。

「有罪だと思う」というのはいい。けれど、なぜ有罪と判断するのかという時に、○○さんはうそを言っていると思う、とか、この証言は信用できないから、などと言う陪審員がいた。

私は、「では、どの証拠から、うそを言っていると思うのか。どの証拠から、証言は信用できないと思うのか?」などと何度か聞いたのだけれど、はっきりと「この証拠からそう判断した」ということが出てこないこともあった。

また、ある陪審員は、「この被告人を無罪にしたら、また何か悪いことをするかもしれない」と言った。「いやいや、そうではないだろう。被告人が有罪か無罪かを判断している時に、証拠でも何でもないそんな根拠のない推測を使うべきではないだろう」と私は言ったのだけれど、言われたその人は不服そうな顔をした。

私の裁判に対する理解が間違っているのだろうかとも感じるほど、推定無罪の原則をわかっていない人が何人かいた。

私の理解では、裁判においては、推定無罪が原則で、「疑わしきは罰せず」あるいは、「百人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑するなかれ」という考えに基づいて行われなければならない。そして、提出された証拠が「Beyond Reasonable Doubt(合理的な疑いを超えて)」有罪と判断できるものでない限りは、有罪と判断することはできない。

だから、評議の間中ずっと私は、「そう判断する証拠は?」「その証拠は合理的な疑いを超えるものか?」と、くどいくらいにみんなに聞いていた。

確かに、その裁判では被告人に対する陪審員の心証はあまり良くなかったと思う。「おそらく有罪だろう」と陪審員が感じてもおかしくはなかっただろう。でも、何となくそう感じるだけで評決を下すのではなく、あくまでも裁判で提出された証拠に基づいて判断するのが陪審員の仕事だ。

そのあたりをきちっと理解して証拠に注目して評議をしていた陪審員は、私が参加した裁判に限って言えば、少なくとも全員ではなかったように思う。

明らかに「Beyond Reasonable Doubt(合理的な疑いを超える)」証拠もあったけれど、ある罪状に関しては、そうとは言えない証拠しかない場合もあったと思う。私はそこをもう少し時間をかけて評議したかった。

ただ、陪審員もただの人だ。選挙人名簿からランダムに選ばれた人達で、法律のプロではないし、ひょっとしたら推定無罪の原則という言葉さえ知らない人もいるかもしれない。

そんな人達が12人集まって、ある人の罪状に対して有罪か無罪を決める。

最初に裁判官から、証拠に基づいて評議をしてくださいと言われるけれど、実際に全ての裁判の全ての罪状に関して、証拠をきちんと見て判断されているのだろうか、という疑問もわく。

自分が経験してみると、いろんな裁判において、証拠を丹念に見ていくというよりも陪審員の心証に引っ張られた評決が下されることが、予想以上にあるのではないか、と感じた。裁判の後そんなことをいろいろと考えていると、余計に疲れがたまった。

日本でも裁判員として裁判に参加した方もいらっしゃるだろう。日本では量刑まで決めなければならないようだ。時間の拘束もさることながら、精神的な負担は計り知れないものがあるだろう。

ちなみに、ニュージーランドでは陪審員をした後、精神的に疲れたりしたら、専門のカウンセリングを受けることもできるようだ。

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