若いうちの苦労は買ってでもすべきか?
若いときの苦労は買ってでもしろ、とよく言われていた。
艱難汝を玉にすなどという言葉も以前からあるし、英語ではAdversity makes a man wise と言うようなので、昭和以降の日本独特の考え方ではないだろう。おそらく世界中で広く一般的に、苦労をすることで人間は成長する、と考えられているのだと思う。
ただこれには反論もあって、「苦労すれば誰でも必ず成長するわけではないだろう」とか「どんな苦労でも人を成長させるのか」とか「私は苦労したけれど、ちっとも成長しません」などと言う人もいる。
いわゆる苦労をした人が全て人間として成長しているわけではないところに、この言葉の曖昧さがあり、言葉の信憑性を損ない、結果として「じゃあ、苦労などしないほうがいいに決まっている」という方向に話が進んでいく。
「苦労」の定義については触れないけれど、いろんな人と接していると、「この人はほとんど人生苦労をせずに生きてきたんだろうなぁ」と感じる人もいれば、「いろんな苦労や経験を積んでここまできたんだろう」と感じる人もいる。
それは、中学生や高校生の年齢の留学生にも当てはまることがある。十代の留学生でも、日本でいろんな経験をしてきたのだろう、と感じる学生もいれば、この人は留学に来るまではずっと周囲の大人達にしっかりと守られてきたのだろう、と感じる人もいる。
どちらがいいとか悪いとかの問題ではないけれど、そう感じる留学生がいるのは事実だ。
でも、どんな留学生達も、留学にくれば否応なしに日本ではできないいろんな経験をする。楽しいことも多いけれど、しんどいことやつらいこと、我慢しなければならない時や自己主張をするべき時もたくさんある。そんな生活の中で、いろんな経験を通して、いろんなことを考えるようになる。
長期の留学、特に十代の人達の留学を見ていると、2年、3年、そして4年と留学生活が長くなっていくにつれて、すごい勢いで成長していく人達が多い。それは、楽しい経験や成功体験から学んでいることもあるだろうけれど、まさに、艱難汝を玉にす、苦しい経験からもたくさんのことを学んでいることが、見ていてよくわかる。
そんな若い人達の周囲にいる大人達にできることは、今その人が直面している経験に対して、何をどのように考え、どのように対処し、どこに向かって進んでいくのかを、示したり一緒に考えたりすることだろう。この周囲の大人達のアドバイスによって、艱難が彼らを玉にするのか、単なる苦しい体験で終わるのかが、大きく変わってくるのだと思う。
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