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ニュージーランドのYear 11以上の高校生は、11月からNCEAの全国統一試験が始まる。

同じレベルの同じ科目はニュージーランド全国で同時に行われ、一つの科目が3時間の記述式で、辞書はもちろん持ち込み不可の、とても厳しい試験だ。

今週で第三学期が終了し2週間の春休みに入るけれど、Year 11以上でこの試験を受ける留学生達は、今度の休みは試験勉強に集中する。留学生は英語がやはりネックになってくるので、各科目の勉強だけではなく、読み書きの英語力もできるだけ上げておかなければならない。

何人かの留学生に準備状況を聞くと、「数学はまあ大丈夫だと思いますが、問題は理科です。」とか、「文章題はちょっと厳しいかも」などと言う。それぞれの留学生が得意科目には自信を見せ、そうでない科目は渋い顔をする。

ただ、Year 13で、NCEAの全国統一試験も3回目の受験になると、少し余裕が出てくる。「まあ、苦手な分野は得点できないかもしれないけれど、全体としては大丈夫でしょう」などと言う。

そういう留学生の自信を見ていると、各科目や各分野に対してそれぞれに自信を持っていたり、そうでなかったりするのではなく、全体としてこの試験に対して自信を持っている。「何度も受けているし、勉強もしているので、自分なら大丈夫だ」という自信。

そう考えてみると、NCEAの試験に限らず、何かに対する自信を持つときに、それぞれの分野や部分に対して自信を持つ場合と、「どの分野、部分でも、自分なら大丈夫」と「自分の力」に対する自信を持つ場合があるように思う。

例えばスポーツでも、今度の対戦相手に対しては、ディフェンス力は自分では自信があるけれど攻撃は通用しないかも、という自信と、自分なら勝てるだろう、という自信は違うし、勉強でも、このパートは自信がないけれど違うパートはできるという自信と、自分ならできるだろう、という自信は違う。仕事でも、この部分はうまくいくけれど違う部分は時間がかかるかもという自信と、自分ならまず間違いなくうまく遂行できる、という自信は違う。

何が言いたいかというと、何かに自信を持って取り組む時、対象の部分部分に対して自信を持つ場合は、その対象に対する自分の部分的なスキルや能力への自信だけれど、自分なら大丈夫というのは、対象はなんであっても自分自身に対するトータルな絶対的な自信を持っているということだ。

おそらくほとんどの場合は、対象に対する部分的な自分の能力への自信なのだろうけれど、たまに、自分ならどんなことが起こっても大丈夫、という絶対的な自信を持つことがある。

目の前に何があっても、自分なら大丈夫だし、解決できるし、前に進んでいけるし、勝つことができる。そんな絶対的な自信を、留学生達も持つことができればいいと思う。