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「勉強は嫌いです」などと言っている人がいると、「勉強はやってみると面白いから好きになりなさい」などとついつい説教してしまいがちだ。

でも、嫌いな「気持ち」を急に自分で変えるのは難しい。

勉強が嫌いだ、○○さんが嫌いだ、この仕事が嫌いだ、自分の性格が嫌いだ、世の中が嫌いだ、人参が嫌いだ。そんな「嫌いな気持ち」を急に「好き」にすることなどできないし、誤解を恐れずに言えば、好きになる必要もない。

「嫌い」という「感情」は、ほとんどの場合これといった理由もなく、気がつけば嫌いな気持ちを感じていた、ということなので、自分では本当にどうしようもない。○○さんが嫌い、という理由は後からいろいろと説明することはできるが、その人のことが大好きな他人もいるわけだから、嫌いという感情は、客観的な後付けの理由を超えた個人的な感情で、そこには「なんとなく気がつけば嫌い」だったという以外の大きな理由はない。

だから、嫌いでかまわないのだと思う。勉強が嫌い、○○さんが嫌い、この仕事が嫌い、自分の性格が嫌い、世の中が嫌い、人参が嫌い。それでかまわない。何もわざわざ好きになることなどない。嫌いな感情を好きに転換するエネルギーと時間があれば、それらをもっと他のことに使うべきだとも思う。

しかし、嫌いでかまわないからと言って、「勉強が嫌いだから、やらない」とか「○○さんが嫌いだから、あの人とは付き合わない」とか、「この仕事が嫌いだから、手を抜く」とか、「自分の性格が嫌いだから、周囲のことに消極的になる」とか、「世の中が嫌いだから、隠遁生活を送る」とか、「人参が嫌いだから、食べない」というのは、また違うと思う。嫌いでかまわないけれど、その嫌いという感情を言い訳にして判断したり行動したりすることまで、かまわない、とは思わない。

勉強が嫌いでもいい。でも勉強が嫌いでも、やらなければならない勉強、自分にとって必要な勉強は、嫌いという感情は別にして、やるべきだ。○○さんが嫌いなのはかまわない。でも、○○さんとは、必要であればきちんと付き合っていくべきだ。

嫌いな感情はそれでかまわない。嫌いを好きにする必要はない。でも、嫌いだからといってそれを理由に行動するのではなく、たとえ嫌いであっても、自分の頭でよく考えて、感情を超えたところで判断して行動するべきなのだと思う。