言葉の限界
頭の中で言葉を使って何かを考えているとき、考えても考えても結論が出なかったり、どうもしっくりこなかったり、袋小路に迷い込んだり、ぐるぐると回り続けたりすることがある。それでも言葉で考え続けていると、何かがパッとひらめくとか、目の前が開けるとか、出口が見える、と感じる瞬間がある。それを感じる一瞬前には、何か言葉以外の刺激、例えば、ある曲を聴いていたとか、風を肌に感じたとか、美しい風景を見たとか、レストランの前でいい匂いをかいだとか、そんな刺激を実は受けていることが多い。
また、他人に何かを言葉で説明するとき、どんな言葉を選んでも、いくつも言葉を加えても、どうもうまく伝わらないときがある。言葉をつなげばつなぐほど、自分が考えていること、自分が伝えたいことからどんどん離れていく。そんな時、ニコッと笑顔を見せたり、肩をポンとたたいたり、優しくうなずいたりすると、その場の雰囲気がさっと変って、他人と大切なことを共有できたと感じることも多い。
自分の中で言葉で考える。他人に言葉で何かを伝える。どちらにも言葉の限界がある。言葉で考えたり表現したりしようとして、でもどうしようもないところまで行くと、言葉の限界を感じる。そしてそのときに、言葉で考えるのではなく、五感で何かを感じることで、その限界を超えることができる。
だから、自分の中で言葉で考える時にも、他人に言葉で伝えるときにも、言葉以外の、感覚や感情といったものを加える必要があるのだと思う。生活の中で、言葉で考える部分と五感で感じる部分の両方の時間を持つ必要があるだろう。学校の勉強でも、言葉を使って頭で考えるだけではなく、五感を使って感じながら勉強するとか、スポーツでも、五感を使って感じるだけではなく、言葉を使って頭で考えるとか、両方が必要なのだと思う。
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