小さな悩みだと気づく

例えばパソコンの調子がよくないとか、例えば夏のボーナスが下がりそうだとか、例えば留学して友達ができないとか、例えば期末試験の勉強をまだしていないとか、例えば将来がなんとなく不安だとか、私を含めて多くの人は何かしらの小さな悩みを感じながら生きているだろう。悩みではなく気がかりと言ってもいい。

それぞれの人にとっては、それらの悩みや気がかりはとてつもなく大きく感じる。パソコンの調子が悪ければ仕事や勉強が進まないではないかとか、ボーナスが下がれば人生設計を変えなければならないではないかとか、友達ができないと留学した意味がないではないかとか、時間がないのにしなければならない勉強が多すぎるとか、私の将来は一体どうなってしまうのだろうとか、考え出すと、そればかりが気になってほかのことが手につかなくなることもある。

でもたまには、今悩んでいることは本当はものすごく小さなものかもしれない、と少しだけ立ち止まって考えることも大切だと思う。それは、他人が悩んでいることを聞くと、その他人が感じているほどそれは大きなことではない、と思うことからもよくわかる。友達に悩みを相談されて、「なんとかなるよ」とアドバイスをすることもあるだろう。そしてそれらは実際に何とかなるのだ。だから、自分の悩みに自分が「なんとかなるよ」とアドバイスをしてもいいと思うのだ。

目の前にある悩みや気がかり。ものすごく大きくて人生の進路に立ちふさがっているように感じる。でも、それらは本当はそれほど大きなことではないのかもしれない。

先日、高校時代の友達が永眠したという知らせを受けた。癌だったそうだ。彼とは高校時代は同じクラスで一緒に遊んだ。当時は男の化粧が流行った時期で、彼は流行にのって女の子にも人気があった。勉強もできず女の子ともあまり話をしなかった私は、そんな彼をうらやましく思ったものだった。その彼が40代の若さで亡くなった。今もし一生の間に一度だけタイムトリップできるなら、高校時代に戻って、彼に「健康には絶対に気をつけろ」と伝えたい。大人になったら毎年必ず健康診断を受けて自分の健康をしっかりとチェックしろ、と。

彼が永眠した知らせを聞いて、今の自分の悩みや気がかりなど本当につまらないことだと感じたのだ。彼は私に少しだけ立ち止まって考える時間をくれたのだ。そして、今自分には何が大切なのか、今日という日をどう過ごせばいいのか、よく考えるチャンスも与えてくれた。

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