やはり想像力が必要

大人が小さな子どもに対して「ありがとうと言いなさい」と言っている場面に出会う。ニュージーランドでも、何かをもらった子どもにその親が「何て言うの?」と「Thank you」と言うのを促すことも多い。

誰かに何かをしてもらったら感謝の意を表すのは当然だ。大人達が子どもに「何て言うの?」と何度も促すことで、子どもたちはその習慣を身に付けることができる。

しかし、何かをしてもらったらパブロフの犬のように反射的に感謝の意を表すだけでは、単に形式的に「ありがとう」と言うだけになってしまう。形だけではなく自分の気持ちとして、他人に対して感謝の意を表すことができるようになるためには、やはり、想像力が必要なのではないか、と私は思う。

例えば誰かが、持っていたキャンディーをある子どもにあげたとする。その時、「この人はそのキャンディーを本当は自分で食べたかったのかもしれない」とか「そのキャンディーを買うために、どこかの店に立ち寄ったのかもしれない」とか「お金がない中でそのキャンディーを買って、あとで食べることを楽しみにしていたのかもしれない」などと想像する。そして、その想像の結果、「そんな大切な、わざわざ買ったキャンディーを自分にくれるなんて、ありがとう」という気持ちが湧いてきて、それが言葉になって出てくる。

また例えば、誰かが自分のために何かを郵便で送ってくれたとする。その時、その人がわざわざ自分のために店に行って、お金を払って買ってきて、それを家で箱に詰めて梱包して、郵便局に持って行って、宛名を書いて、お金を払って郵送して、その間に自分のことを考えてくれて、そして今、目の前に荷物が届いているのだ、ということを想像する。その想像の結果、「なんてありがたいのだろう」という気持ちが自然と湧いてくる。

そして、誰かが何かをしてくれたことに対する感謝だけではなく、自分が今そこでそんな生活できること、毎日学校や仕事に行けること、食事や住む場所に困らないこと、一年前の自分よりも成長していること、チャンスをつかめる環境にあること、そして、今ここでこうして生きていること。そんなことに対して、ちょっとだけ自分の周囲や時間を遡って想像力を働かせてみる。その想像から自然と「なんてありがたいのだろう」という気持ちが湧いてくるのだと思う。

では、想像力を養うためには何が必要か。それはまた今度書いてみたい。

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