嫌いでもかまわない

誰かのことは好きだけれど別の人のことは好きではないとか、これをするのは好きだけれど他のことは好きではないとか、誰にでも好きや嫌いの感情がある。

高校留学生でも、学校の数学の先生は好きだけれど英語の先生は好きではないとか、ラグビー留学生でも、ウエイトトレーニングは好きだけれどフィットネスは好きではないとか、いろんな感情がある。

そんな人達にアドバイスをするとき、「なぜ英語の先生のことは好きではないのか?好きにはなれないのか?」とか「フィットネスはこんなに楽しいものだから、続けていれば絶対に好きになるよ」とか、そんなアドバイスをする人もいる。

でも、私はそんなアドバイスは、何かを好きではないと感じている人達にとっては、心に響かないと思う。

そもそも好きとか嫌いとかいう感情は、理由なく感じるものだと思うから、「なぜ嫌いなのか?」と聞いても、説明できないだろう。強いて言えば「なんとなく」とか「嫌いなものは嫌い」としか言いようがない。

そして好きとか嫌いとかいう感情は、誰かに何かを言われたことくらいではなかなか変わらない。

だから、Betterなアドバイスは、「嫌いでもかまわない」だと私は思う。

そして好きとか嫌いとか、そんな感情は前提の上で、「じゃあ、どう行動するのか」を話題にする。

「英語の先生のことは好きではないのね。それはそれでかまわない。でも、その人の授業を受けて単位を取っていかなければならないのなら、あなたはどう行動するのか?そして英語の先生にどのように接したいのか?」あるいは、「フィットネスは好きではないのはかまわない。けれど、フィットネスを上げる必要があるのなら、あなたはどうするのか?フィットネスにどう取り組みたいのか?」と問う。

好きや嫌いの感情を持っているのはかまわない。その感情を持った上で、どう考え、どう行動するのか。そこに焦点を当てることが大切だと思う。

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