所属するということ(1)

「留学に行きたいのです。でも、会社を辞める踏ん切りがつきません。他の人は、どうやって踏ん切りをつけたのでしょうか。」

人は必ず何かに所属して生きています。それは、会社であったり、学校であったり、家族であったり、スポーツクラブであったり、趣味の会であったり、国であったり、地域であったり、いろいろですが、現代社会で普通に生活している限り、全く何にも所属せず生きている人はいないでしょう。

所属している間は、その存在がうっとうしかったり、何かをしようとする時に邪魔に感じたりします。

でも、
一度その所属先から抜け出そうとすると、その存在の大きさに気がつきます。

例えば、会社にいる時は、会社のやり方が気に入らなかったり、会社自体の存続が危ぶまれたり、何もしてくれない会社に憤りを感じたりします。しかし、会社を辞めて留学しようなどと考え始めると、なかなかやめる決心がつきません。それは、会社員としてその会社に所属している自分と辞めた後の自分を比較して、会社に所属している方が快適なことに気がつくからです。今まで会社に守られていた自分に気がつくといってもいいでしょう。

そして、会社を辞めた後、もう元の状態に戻ることはできないと認識した時、不安とともに開放感のようなものも感じます。

「もうあの会社に守ってもらうこともできないけど、会社に縛られることもない。」

そして、書類上も精神的にも所属先から切り離されます。

今まで所属していたものから抜ける、つまり所属しないことを選ぶということは、非常に不安で勇気がいることです。逆に言うと、どこかに所属しているということは、それだけで安心できるし快適だということです。

特に、会社を辞めて留学するなどという、今まで所属していたところから抜けた後、一人で行動することを選ぶとなると、その不安も大きいですしそのぶん勇気もいります。

でも、会社などというところは一生所属できるところではありません。いつかそこから離れなければならないのです。いつまでも守ってはくれないのです。

今まで所属していた期間が長ければ長いほど、そこから離れるのは難しいですしエネルギーがいります。でも、一旦所属から抜けてしまえば、思ってた程不安でも困難でもありません。

私も、日本で8年間ほどサラリーマンをやった後、ニュージーランドで自分でビジネスを始めましたが、どこかの会社に所属していた時より、何と言っていいか、気が楽というか、自由というか、おもしろいです。不安を感じることもありますが、それ以上の何かがあります。

同じように、会社を辞めて留学というのは、始める前は不安です。でも、守られていた環境から抜け出して、自分で自分の行動に責任を持って選び、進んでいく。失敗や困難があれば自分で考えてまた選び進んでいく。

こんなに自由でおもしろいことはなかなかないと思います。それは、どこかの会社に所属していると得られないものかもしれません。

会社を辞める時、経済的なことや将来のことを考えるのは当然ですが、「今まで所属していたものを捨てる不安」を自分の中でどう処理するか、というのが意外と忘れがちであるけれども重要な視点なのではないかと思います。

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実は、会社を辞めて留学する時、会社という所属先からは抜けることになりますが、日本という国、日本人であること、日本の習慣や文化の中に所属していたことなどからは抜けることができない、ということを比較しながら同時に書こうと思ったのですが、あまりにもテーマが大きくなるので、また今度書くことにします。

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