留学という日常をドラマに変える

「留学に行けば、毎日毎日がおもしろいことの連続だと思っていました。今まで経験したことのないことが次々に起こって、いろんな人と出会う。朝、目を覚ませば昨日と全く違う一日が始まる。そう思って留学に来たのに、実際は毎日同じことの繰り返し。確かに、来てしばらくは、見るもの聞くものが新鮮でいちいち感動していましたが、今ではもう慣れっこになってしまいました。
想像していたほどドラマチックなことなんて起こりません。今日も同じ時間に起きて、同じ道を通って、同じ学校に通い、同じ友達と話をして、同じ家に帰ってきて、同じ人たちと同じような食事をし、同じ時間に寝る。これでは、日本にいた時と変わず、おもしろくありません。どうすればいいのでしょうか。」

留学やワーホリに来る時は、誰でも夢や希望を持って来ます。

きっと日本と違う何かがある。日本にいる時と違う経験ができる。日本では出会えなかったであろう人と出会える。今までと違ったいろんなことが起こる。

日本で手に入る留学関連の書籍などにも、毎日がドラマチックであるかのように書いてあるものもありますし、留学を勧める人たちの中にも、とにかく留学に行けば新しい何かが待っていると、あたかもエキサイティングな毎日が用意されているかのようなことを言う人もいます。

確かに、留学やワーホリに来れば、日本と違う何かがありますし、日本にいる時と違う経験ができます。また、日本では出会えなかったであろう人と出会えますし、今までと違ったいろんなことも起こります。ドラマチックでエキサイティングなこともありますし、新しいことも待っています。

しかしそれは、留学している間、全ての人に毎日毎日次から次へと起こることではありません。

日本での生活という「日常」を抜け出して、留学という「非日常」の世界にやって来たつもりでも、しばらく時間がたてば、その「非日常」はすぐに「日常」となってしまいます。日常となってしまった生活は、日本にいた時と同じく、毎日が同じことの繰り返しであり、突然ドラマチックなことが向こうからやってくることはあまりありません。

では、留学やワーホリはつまらないものなのでしょうか。ただ、毎日同じことを繰り返すだけで、日本にいるのと変わりないのでしょうか。単に日本での生活という「日常」から海外での生活という「日常」に移動しただけなのでしょうか。

私は、留学やワーホリの大きなポイントは、その「移動」にあると思います。日本にいた時は「日常」から「非日常」への移動だと思っていたのが実際は「日常」から「日常」への移動だったとしても、「移動」することに大きな意味があるのです。

留学やワーホリに来る時は、日本でのそれまでの日常の生活をいったん止めて日本を発ちます。たとえ数週間という短い期間でも、連続した日本での生活から離れなければなりません。そして留学先という、それまでとは切断された新しい空間にやってきます。

そして、その新しい空間にあるものは、今まで日本にあったものと全て違います。家も、学校も、友達も、家族も、何もかも違う空間に身を置くことになります。そこから留学生活がスタートします。

言い換えれば、それは、舞台を変えるということです。舞台を変えることで、周りの役者も変わります。自分にとっては、監督も脚本も新しくなります。

ただ、周りの役者は既にそれぞれの役を割り振られ、舞台が進んでいます。そこに新しい役者として入っていくのです。その時単に一役者として舞台に身を置くだけなら、「その他大勢」の役しか回ってきません。その他大勢の役者として、誰かが書いた脚本に沿って、監督の言うとおりに動いていれば、リスクは少ないですが、舞台の上であまりドラマチックな出来事は起こりません。

ではどうすればいいのか。どうすれば、留学という日常の中で、日本と違う何かと出会い、日本にいる時と違う経験をし、日本では出会えなかったであろう人と出会い、ドラマチックでエキサイティングなことに巡り合えるのか。

それは、自分自身が主人公である舞台の脚本を自分自身で書くことです。誰かが書いた脚本に沿ってその他大勢を演じるのではなく、自分が自分のための脚本を書き、それを自ら進んで演じるのです。

つまり、明日というドラマの脚本を今日自分で書き、それに沿って明日一日を生きてみるということです。そこでは自分が主役です。どんなドラマにするのか、どんな主人公にするのかは脚本家である自分が決めればいいのです。

現実には、予想してなかった事態も起こるでしょうし、他人から見ればエキサイティングな出来事ばかりが起こるわけではありません。しかし、単に受身で舞台の一脇役として過ごすのではなく、自分が主人公の脚本を書くという意識でいれば、留学という日常のほんの些細な出来事も、エキサイティングでドラマチックな出来事に変えることができるのだと思います。

自分という主人公をどう動かし、どんな感動を与え、どのような状況に導くか。細かい部分まで脚本家である自分、主人公である自分にかかってきます。

「今までと連続した日常」である日本にいたままで、突然脚本を変えるのは難しいです。しかし、日本での生活という「日常」から海外での生活という「日常」に移動して、自分が身を置く舞台を変えることで、自分が脚本家になり、主役になるチャンスが生まれるのです。そのチャンスを生かして、日本で自分が想像していたような脚本を書き、主人公としてそれを演じる。演じるというのはそれを生きるといってもいいかもしれません。

そうすることによって、留学という日常をドラマに変えることができるのだと思います。

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