ツイッター

最近日本でもツイッター(Twitter)の話題をよく耳にすると思う。キックオフNZ もツイッターをしている。

ツイッターとは何ぞやという話はここでは置いておくが、ツイッターを使うことによって、ウエブサイトや、メール、掲示板、そしてソーシャルネットワークなどといった、今までのインターネットのコミュニケーションチャンネルよりも、より早く、そして比較的能動的かつ双方向的に、情報をやり取りすることができるようになったと思う。

私がツイッターでフォーローしている方々の投稿、いわゆるつぶやきが、私のツイッターの画面にタイムラインという形で表示される。フォローしている人は個人個人でそれぞれ様々なので、人によってタイムラインに表れるつぶやきは異なってくる。つまり、世界中のつぶやきの中から情報を自分で選択している。また、誰かのつぶやきはほぼリアルタイムにタイムラインに表示されそれにすぐに返信できるので、チャットをしているように感じることもある。ツイッターのタイムラインに表示される情報は、まさに「今」の情報だ。

冬季オリンピックが始まって、カーリングやスノーボードなどのゲームの進行状況をつぶやく人も多いので、それを見ているだけで、例えば、カーリングのゲームが今どういう状況なのかがおおよそわかる。スケートの靴紐が切れた瞬間、ツイッターのタイムラインには靴紐についてのつぶやきが多数投稿され、それを読むだけで誰の靴紐がどんな状況で切れたかがわかるくらいだ。

タイムラインはどんどん更新されていく。言い換えれば、どんどん新しい情報がつぶやかれ、古いつぶやきは隠れていってしまう。

そんな状態に慣れてくると、ツイッター上では、ほんの1日前のつぶやきがとても古い情報のように感じてしまう。例えば、バンクーバーオリンピックが始まった土曜日には、ツイッター上で開会式についてのつぶやきが多数見られたが、日曜日の午後にもなると、開会式についてはほとんどだれもつぶやかなくなった。だから、月曜日に仕事場で会った人に、「土曜日の開会式、よかったね。」と面と向って言っても違和感はないが、ツイッター上で月曜日に同じことをつぶやけば、なんて古い情報なんだろう、と感じてしまう。それだけ、ツイッター上では情報の速度が速い。言い換えれば、情報の賞味期限が現実の世界に比べてはるかに短い。

ツイッター。画期的なツールだという人も多い。確かに、今までのコミュニケーションチャンネルとは少し違うように思う。使い方によっては、それを通して触れる世界が変わってくるかもしれない。しかし、この情報の速度、情報の賞味期限の短さに慣れてしまうのも、なんだか怖いようにも思う。

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