「暇」に感じることは決して悪いことではない

日本からニュージーランドに留学に来ると、多くの留学生が、「暇だ」と言う。「暇」という言葉が適切かどうかは別にして、日本にいたときと比べると、時間がたくさんあるように感じると思う。

ニュージーランド、特にロトルアは、夜に遊びにでかけるところはないし、ステイ先で観るテレビもすべて英語で理解できないことも多いだろう。また、授業が終わると地元の高校生でも語学留学生でも、親やホストファミリーが車で迎えに来てすぐに家に帰って行ったりする。だからこそ特に若い留学生や高校留学生にとっては、勉強やスポーツに専念できていい環境なのだが、日本から来てすぐは、そのゆっくりとした時間の流れ方になじめないことも多いと思う。

以前にもこのブログでも書いたが、日本の中学校を卒業してすぐにロトルアに高校留学に来た学生も、最初のころは暇だ、とよく言っていた。何もすることがない、と。でも、2ヶ月ほど経つと彼は、日本語の本を読むようになった。おそらく日本にいたときよりも、かなりたくさんの本を読むようになったと思う。そして最近は、週末に友達を自ら誘って遊びに行ったり、知り合いに電話をかけて都合を聞いたり、自分で予定を作るようになって、「暇」な時間も少なくなってきたようだ。

日本では、塾に行ったり、街に遊びに行ったり、クラブ活動をしたり、テレビを観たり、インターネットをしたりしてすごしていた留学生たちも、ニュージーランドに来たら、それらがなくなって、「暇」に感じる。でも、日本でやっていたことのほとんどは、誰かが与えてくれたことがほとんどだろう。塾に行きさえすれば塾の先生が教室で何かを教えてくれる。街に遊びに行けばゲームセンターやファーストフードなどのお店がお金と引き換えに場所と時間を提供してくれる。スイッチを入れればいつでもテレビ番組をやっている。インターネットに接続さえすれば誰かと話をしたり動画を見たり音楽を聴いたりすることができる。そうやって「暇」ではなくなるのだが、その暇を埋めてくれているのは、自分の意思や工夫ではなくて、外から誰かが与えてくれたものだ。自分の意思で塾や街に行ったり、クラブ活動をしたり、テレビを見たり、インターネットをやっているように見えなくもないが、そこに行ってしまえば後は誰かが与えてくれた空間で誰かが与えてくれたものをこなしていることが多いだろうから、全てを自分で行っているとは言えない。

だから、ニュージーランドに留学に来て、日本にいたときよりも、自分で使える時間がたくさんある環境では、自分でその時間をどのように使えばいいのかわからない留学生が多い。そして「暇」という言葉を使って、誰かがその暇を埋める何かを与えてくれることを望み、待つ。もてあます「暇」な時間を自分で工夫して楽しもうという発想ではなくて、「暇」だから誰かが何かを私に与えてください、と考える。なぜなら今まで日本では、誰かが与えてくれた場所で誰かが与えてくれたことをこなすことで、「暇」になるであろう時間を埋めていたからだ。

留学して「暇」に感じることは決して悪いことではない。むしろ、自分で考えて自ら何か行動を起こすいい機会になると思う。留学生が暇だからと言って、周りにいる人たちがお膳立てをして、場所や何かやるこをどんどん与える必要はないと思う。それは自分で考えて自分で行動するという貴重なチャンスを、留学生から奪ってしまうことになるかもしれない。

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