新聞記事から考える
今日の日本のオンライン新聞の1つの画面に、2つの見出がほぼ並んで掲載されていた。
「神戸の所在不明は105人…最高齢は125歳」
「国内最高齢オオサンショウウオ死ぬ…55歳超」
単純に比較はできないことは十分承知しているし、2つを比べることはとても失礼なこともよくわかっているのだが、同じ単語が近くの見出しに、しかも全く同じ字数で並んでいると、どうしても気になってしまう。
新聞の記事から引用すると、
「国内最高齢を上回る同市東灘区の125歳の女性」
「125歳の女性は住民基本台帳上は東灘区在住で単身世帯となっていたが、同区役所は安否確認できないことから訪問先から除外し、住所地は1981年から市の公園ができているという。」
「飼育員が清掃と給餌のために飼育プールに入ったところ、動かなくなっているオオサンショウウオを発見した。」
「飼育年数は45年に及ぶ。同園によると、飼育年数も国内の動物園で最長。」
オオサンショウウオは動物園で大切に育てられ、掃除と食事のために飼育員が入ったところ動かなくなっているのを発見されている。
一方125歳の女性は、国内最高齢を上回る、という表現だ。国内最高齢を上回るというのはどういう意味だろう。国内最高齢の方が他にいて、この125歳の女性は国内最高齢とはみなされていなかった、つまり、存在していないことになっていたということだろうか。それが今になってどうして所在不明の一人に入ってくるのだろう。
例えば、オオサンショウウオが飼育されていると思われていた動物園がいつの間にか公園になっていて、国内最高齢のオオサンショウウオが所在不明で、一方、国内最高齢125歳の女性の住まいに掃除と食事つくりに訪れた人が、女性が動かなくなっているのを発見した、というのであればまだ納得がいく。でも今の日本の現実は、オオサンショウウオと人間の女性が逆になっている。
怒りよりも、悲しみを大きく感じる。
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