勉強の基本は読書
ゆとり教育の世代は学力が低いとか、今の大学生は以前よりも基本的な能力がないとか、散々言われるけれど、そんなことは私が大学生のときから同じようなことを言われてきたし、実際に私は学生のときはほとんど勉強というものをしなかった。だから、私は今のゆとり教育世代よりも学力も相当低いだろうし、基本的な能力も全くないだろう。こんなことをここで自慢することもないのだが、実際にこの歳になって、自分はなんて能力がないのだろう、と毎日感じる。
学生時代にもっと勉強しておけばよかった、などと考えたくはないのだが、現実問題として、もっと勉強しておけば、かなり違った人生を歩んでいたことは容易に想像できる。そして、もっと勉強しておけばよかったという内容を具体的に考えたとき、もちろん数学や科学といった、今の自分にとって未知の領域の学問もそうだが、やはり、学生の頃にもっと本を読んでおけばよかったといつも思もう。
勉強勉強と言うが、基本は読書だと思う。数学にしても科学にしても、哲学や経済学にしても、言葉が基本だ。言葉がわからないと数学も哲学もなにもない。そして、言葉を自由自在に使うためには、一定以上の読書量が必要なことを、今さらながら痛感している。特に、小学生から18歳くらいまでの読書量で、それ以降の学力や能力が大きく決定付けられるのではないか、というのが今の私の感想だ。その頃の年齢でたくさんの良質の本を読んでいる人は、それ以降、例えば全く読書をしなくても、それなりの思考力、想像力などを身につけていると思う。もちろん、18歳以降でもどんどん本を読めば、知識や思考力もつくのだが、一冊の本を読んだときに感じることや考えること、そしてその本から吸収することは、年齢によって大きく異なる。
だから、ゆとり教育がどうしたとか、今の大学生がどうだ、とか言う前に、どんどん本を読むことを大人が子どもに勧めるのがいい。またいつでも気軽に読書ができる環境を大人が作ってやる必要もあるだろう。
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