グーグルはアメリカ人

ここ何年か当たり前のように毎日、グーグルやヤフーのサービス、そしてフェイスブックやツイッターなどを利用している。

グーグルやフェイスブックなどは、サービス内容だけではなく、ユーザインターフェイスも数年前と比べると変わってきている。ただ、その変わり方が、使いやすい方向にどんどん向かっているかというと、どうもそうは感じない。

例えば、フェイスブックが最近タイムラインという表示方法に大きく変更になったが、以前の表示方法のほうが使いやすかったという人も多い。また、グーグルのメールサービスであるGmail には、スレッド表示という同じトピックのメールをグループ化して表示する方法があるが、これに対する評価も全ての人が高いわけではないようだ。

利用者が世界中でどんどん増えているサービスでは、サービスの提供者が使いやすさを追求して変更を重ねていくうちに、サービス利用者の本当の要求が見えなくなってしまうという原因もあるだろう。でも、私は、グーグルやフェイスブックの使い勝手がしっくり来ないのは、それらのサービスがアメリカ発であることも、大きな原因だと思う。

20年近く前、ウインドウズが発売になりワードとエクセルがビジネスツールの中心になってきたとき、ワードの使い勝手に大きな違和感を持った日本人も多かったと思う。それまでのワープロでは、まず用紙の大きさを選び、行数と1行あたりの文字数を設定してから、日本語入力を始めるものが圧倒的に多かった。でもワードは、用紙の大きさを選び、余白を決めるだけだ。1ページあたりの行数や1行あたりの文字数は、余白と文字の大きさによって変化する。これは、それまで原稿用紙で文章を書いてきた日本人にとっては、明らかにショッキングな出来事だったと思う。当時の職場で先輩と「ワードって、生粋のアメリカ人ですね。」という会話を交わしたことを今でも覚えている。

それから20年近くが経ち、今では日本語の文章を書くとき、1ページの行数や1行の文字数をきっちりと設定している人は少ないだろう。すっかりアメリカ式になじんだ、とも言える。そしてそれに伴って、文章を書くときの思考回路も、日本式からアメリカ式にシフトしてきているように感じるのは、私だけだろうか。

フェイスブックやグーグルにも同じことが言えるかもしれない。今、アメリカ発のそれらのサービスに多少違和感を感じていても、使い続けることでなじんできて、その結果、例えば、ユーザーインターフェイスなどに対する感覚が、アメリカ的な方向にシフトしていく可能性もあるだろう。極端に言えば、日本的な感覚が失われていくことも考えられる。

理想を言えば、日本からグーグルやフェイスブックのようなサービスが立ち上がり、それが世界中に広まって、日本的な感覚を含んだユーザーインターフェイスを使えるようになることだ。さらに理想を言えば、同じサービスでも、いろんな国や民族、文化を持った人々に合わせたユーザインターフェイスが選べるようになるのがいいだろう。

近い将来、そんな時代も来るのかもしれない。

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