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6歳の娘が友達と2人で、顔を前に向けたまま2つの目玉だけを一生懸命上に向けて、なんだかフラフラと立っていた。聞いてみると、「自分で自分の脳を見ようとしていた」のだそうだ。

ためしに私もやってみたけれど、そもそも目玉が真上に向かないし、たとえ向いたとしても脳は見えなかっただろう。このブログをご覧の方も一度やってみていただきたい。おそらく自分で自分の脳は見えないだろう。もし「脳が見えた!」という方がいらっしゃったら、留学カウンセリングフォームからご連絡をいただきたい。弊社スタッフ、あるいはより適切な人物から返信させていただこうと思う。

いくら目玉を動かしても、自分で自分の脳は見えない。じゃあ、自分の目で一体自分の何が見えているのだろうか、と考えると、意外と何も見えていないことに気づく。

例えば友達と5人で遊んでいる時、自分の目で見えているのは4人の友達と周りの風景だ。自分の表情や自分の全体の動作などは他の4人からは見えているけれど、自分の目では見えていない。最もよく見えているのは自分の手か足くらいのものだ。5人で遊んでいる自分の、笑い顔や友達の話に対するリアクション、髪型や肩や背中の動きなどは、普段は自分の視界には入っていない。それは、まるで自分で撮ったビデオを見ているようなものだ。他の人や風景はカメラに収められているが、自分の顔は出てこない。

でも後で、友達5人で遊んだときのことを思い出すと、そこに自分の表情や全体の動作などが入っていることがあるのが不思議だ。学校での風景、旅行に行ったこと、家族との団欒などを思い出すと、自分で撮ったビデオのような風景も思い出されるが、そこにいない誰かが撮ったような映像が見えることがある。その映像はそのときに自分の目で見た映像とは絶対に違うのだけれど、何故か自分を含めた映像が、想い出の中によみがえる。

それぞれの人はみんな、自分にとって自分が最も大切な人だろうと思う。自分がいなければ、周囲の人や風景も含めて自分の世界は存在さえしない。けれど、毎日毎日自分の目で見ているのは、自分以外の人たちと周囲の風景だ。自分で自分の表情や行動を全体として見ることは、日常的にはできない。だから、大げさに言えば、自分の生活、自分の人生の視覚の中には、物理的な自分の肉体は入っていない。言い換えると、人生って、ずっと自分で撮ったビデオを見続けているようなものだ。極端に言えば、自分の人生の中に自分はいない。

自分の目では、自分の脳を見られないどころか、自分の日々の表情や動作さえ見られない。そんな単純で明快なことを、普段はすっかり忘れて生きている。