子どもがいうことをきかないと嘆く前に

子育ては難しい。

子育ては、親が子どもを育てることだと考えると、「子育て」という言葉から想像するのは、親から子どもへエネルギーを注いで、親が意図した方向に子どもを動かす、というイメージだ。

親が子どもという対象に自分のエネルギーをかけて、そのエネルギーが向かうベクトルに子どもが動くと、その子育てはうまくいったと、親は感じる。

逆に、親が意図する方向に、つまり、親がエネルギーをかけたベクトルと違う方向に子どもが動くと、親は、自分の子育ては何か間違っているのではないか、と思う。親が意図しない方向に、たとえ子どもが「成長」していてもだ。

でも現実には、親が意図する方向に子どもが動くとは限らないのが、子育てだ。

親が子どもに、学校の勉強をしなさいと何度言っても、つまり、親が子どもという対象に、勉強をさせるという方向にエネルギーをかけても、子どもという対象は、そのエネルギーの方向に動こうとはしない。特に、十代になってくると、親の意図した方向など子どもは気にしなくなるし、逆に親のエネルギーの方向とはわざと違う方向に動こうとしたりする。

それが多くの現実だとすると、親が子どもにエネルギーを注いで、親が意図する方向に子どもを動かすのが「子育て」だ、というのが、そもそも間違っているのかもしれない。

意図する方向に子どもを動かす、というのは、親が子どもを「コントロール」しようとしていることだ。子どもが小さいうちは、親のコントロールはきくだろうけれど、大きくなると、そこから逃れようとするのは、あたりまえだろう。

子育ては、親が子どもをコントロールすることではないのだ。

だったら子育てとは、親が子どもに何をすることなのだろうか?子どもがどうなれば、子育てはうまくいったと言えるのだろうか?

もっと言えば、子育ては、「親が」子どもを育てることなのだろうか?親から、子どもという対象に向かう行為だけをさすのだろうか?

もしかすると、子育てとは、そうではなくて、親も含めて子どもの周りにいる人たちから、そして子どもの周りにある環境全てから、「子どもが」何かを学んで成長することなのかもしれない。

親だけが、子どもを対象として一方的にエネルギーを注いで、親が意図する方向に子どもを動かすのではなく、子どもから、親を含む、周りの環境に働きかけて、あるいは環境から子どもが影響を受けて、そこから、子ども自身が何かを学び、成長していくことなのかもしれない。

そう考えると、親が子どもにすべきことは、子どもが周りの全てのものに、自分から働きかける力をつけさせることであり、その能動的な行為から、何かを学び取ることができる力なのだろう。

そのためには、小さいころから、子どもがいろんなことに興味を持って、いろんな場所で、いろんなものに触れ、いろんな人たちと接する、そんな経験が必要だ。

子育てのベクトルは、実は、親から子どもに向かう一方的で限定的なものではなくて、子どもから周囲のあらゆるものにも向かう、もっと幅の広いものなのかもしれない。

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