スピード違反取り締まりはアンフェアか?
少し前の話だけれど、友人のニュージーランド人が、スピード違反でつかまった話をしていた。
彼はかなりの安全運転ドライバーだけれど、免許を取ってから一度だけスピード違反でつかまったそうだ。
「その時は、学校の近くを走っていたんだけれど、週末で学校は休みだった。だから、普段なら40キロで走るところを少しスピードを出して走っていたんだ。」「見通しのいい直線道路で、対向車もいなかったし、人も歩いていなかった。50キロを超えて走っていても、安全に走れたのは間違いなかった。」
「でも、取り締まりのバンの中に設置されていたスピード検知機で知らない間に違反を取られたんだ。」「とてもアンフェアだと思う。」
日本の感覚で言うと、違反は違反なので、アンフェアもなにもないだろう、と思うけれど、ニュージーランドの人達の中には、同じようなことを言うひとも多い。
ルールや法律は確かに知っているしその重要性もわかっているけれど、安全を確認できるところなら、どのくらいの速度で走るのかは自分で考えて決めてもいいだろう、という前提があるように思う。
簡単に言えば、何のためのルールかを考えて、ルールのもとになっている基準が確保されるのであれば、多少のルール違反は許容されてもいい、とい考え方だ。安全のためのルールならば、安全が保証される範囲で行動するのならOK、ということだ。
言い換えると、ルールは絶対でどんなことがあっても必ず守らなければならない、というのではなく、ルール自体は尊重しながら自分でも考えて行動する、ということだろう。
そのニュージーランドの友人は、とても真面目な人で、誠実でフェアであろうとする人だからよけいに、彼の口からスピード違反の話を聞いた時は違和感があった。
でも、フェアであることを突き詰めて考えるのなら、そこにすでにあるルールの運用方法も含まれてくるのも頷ける。
ルールは絶対でいつもそれに従うことをよしとするのか、状況に応じて自分で考えて判断するのか。とても難しい問題だ。
彼のその話から、いろいろと考えさせられた。
キックオフNZのSNS