ピノキオの「良心」
「ピノキオ」の映画(ウォルト・ディズニー製作)をDVDで観た。アメリカ公開は1940年(昭和15年)、日本公開は1952年(昭和27年)だ。DVDと言っても、元が古いので画質はよくないが、ストーリーは今、大人が観ても十分楽しめる内容だ。
ゼペットじいさんが心をこめて作り上げた木の人形”ピノキオ”。ゼペットじいさんは人間の子どもになってほしいと星に願う。このときにかかる音楽が、「星に願いを」だ。昭和15年の曲とは思えない。
妖精はピノキオを自由に動き回り話すことができるようにする。でも、本当の子どもになるためには、勇気を持ち、正直で、優しくなければならない。そして、コオロギのジミニーが、ピノキオの「良心」としてついてまわる。ピノキオの「良心」はピノキオの外にあってピノキオを監視する。
ところが、このピノキオ、はらはらするくらい悪いやつらの誘いに乗る。「でもー」とかいいながら、最後は「じゃあ」とついていく。そして、最後にネコとキツネに誘われてついていったのが「遊び島」だ。
映画の中で描かれているこの「遊び島」の遊び方がおもしろい。子ども大勢をつれてきて、毎日毎日遊んで暮らす、といえば、例えば、ゲームをするとか、遊園地で遊ぶとか、テレビを見るとか、おもちゃで遊ぶとか、そんな遊び方を想像する。でも、ピノキオが連れて行かれた遊び島では、煙草や葉巻が「それー」と言ってみんなにまかれる、大きなお屋敷に入ってみんなで壊す、ケンカ大歓迎の大暴れ小屋で殴り合いをする、など、「遊び」と言いながら「悪いこと」をする。ここで描かれているのは、遊び=悪いこと、だ。
ピノキオともう一人の少年が葉巻を吸いながらビリヤードをしているところに、良心のジミニーがやってきて、ピノキオを連れて帰ろうとする。少年が聞く。「それ誰?」ピノキオが答える。「僕の良心。善悪を教えてくれるんだ。」これに、少年はこう答える。
「コオロギの言いなりになっているのか?」
まだ本当の子どもになっていないピノキオは、良心と悪の間で揺れる。
でも、この遊び島にだましてつれてきた男が言っていたように、「悪いことをするとロバになる」。そしてどんどんロバになっていく少年は、ピノキオに向かってこう叫ぶ。
「だまされた。はめられた。助けてくれー」
楽しい楽しいと言って悪いことをし続けていた少年が、その結果ロバになったとき、「こうなったのはあいつのせいだ。自分は悪くないのに人のせいでだまされてこうなったのだ。」と叫ぶ。そして、自分ではどうしようもなくて、ピノキオに「助けてくれ」と救済を求める。
この悪の象徴である少年の言葉は、映画の中ではピノキオの外にいるけれど、人間の中に誰もが持っている考えかただ。楽に、楽しいことをして、結果が悪くなったら人のせいにして、助けを他人に求める。そして調子のいい時は、良心に従おうと言う行動を「言いなりになる」とけん制し否定する。
遊び島は映画の中では海をわたったところにあったけれど、実際には身の回りにたくさんある。そして、良心と悪の両方を持ち合わせた我々は、その間でいつも揺れる。
耳がロバになりしっぽが生えてしまったピノキオは、ジミニーと一緒に島を脱出して、最後はゼペットじいさんを勇気を持って助けて、本当の子どもになる。
ピノキオの映画を観て、「自分は勇気を持って、良心に従って、正直に、人に優しく行動できるだろうか」と、この年になって真剣に考えるのも正直ちょっと恥ずかしいけれど、でも、やっぱり、寝る前に、耳がロバになっていないかどうか確かめてから寝るようにしようと思う。
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