自信を持って英語を伝える
以前、ある日本企業のニュージーランド支社のトップの方と、いろいろとお話させていただく機会があった。
私が、「自分の英語力がまだまだ問題です。」と言うと、
「6時のニュースをテレビで見て、どのくらい理解できる?」と聞かれた。
「そうですね、半分くらいですね。」と答えると、
「僕も半分くらいしか理解できない。でも、会社ではトップとして、現地の労働組合と打打発止の議論も戦わせるし、たくさんの資料も読むし、電話もどんどんかけるし、えらそうに英語で指示もする。」とおっしゃる。
私は実際にその方が仕事をしているところは見たことがないが、その方のポジションからして、実際に英語でずっと難しい仕事をこなしていることは容易に想像できた。
「そうか、この人は、テレビのニュースを半分くらいしか理解できなくても、そうやってちゃんと会社のトップとしてニュージーランドで仕事をしているんだ。」と妙に感心した覚えがある。それ以降、自分の英語力に自信が持てなくなるたびに、この人の言葉を思い出し、自分も何とかできるのではないかと励みにしてきた。
今から考えてみると、私を励ましてくれただけなのかもしれない。実際には、その人はニュースを半分しか理解できないということはなかったのかもしれない。でも、実際にはどうであれ、私の英語に対する考え方が変わり、自信を与えてくれたのは間違いない。自分はあまり英語ができないと言って自信を持てずにいるよりも、ある程度できるのだから自信を持って発言し向かっていけばいい、と思えるようになった。
人は、誰かの言葉を聞く時に、その語彙力やスキルだけではなく、発言者のものごし、視線、雰囲気、力強さ、自信など全てを受け取って全体として理解している。例えば、自信なさげに「ほんとうだ」と言っても信じてもらえないこともあるが、自信を持って力強く「ほんとうだ」といえば、相手は安心する。
語学留学生、高校留学生、ワーホリ、ポリテク留学生、ラグビー留学生、どんな状況であれ、「自分の英語力はまだまだだ」と自信を失うことがある。こんなので大丈夫なのだろうかと落ち込むこともある。留学中はそんなことの連続だと言ってもいいくらいだ。
でも、言葉はコミュニケーションの道具の一つであり、その道具を使う時に自信を持って使うことで、相手とのコミュニケーションがよりスムーズに行く。英語という道具だけでコミュニケーションが成り立っているのではなく、それを使う自分自身を相手は見ている。極端に言えば、自分自身を見てもらう、自分自身を表現するために、英語という道具を使っているに過ぎない。コミュニケーションの中心は、自分自身だ。
留学中、英語に自信がなくなったとき、どんなことでもいい、何か一つきっかけや理由、根拠を見つけて、自信を持ってみる。そして、その自信を通して英語を伝えてみる。そうしているうちに、実際に自信が生まれてくるかもしれない。
キックオフNZのSNS