「違い」というのは重要なキーワード
ニュージーランドと日本の違いということについては、いろんな方がいろんなところで取り上げている。それは、日本で生まれ育った人がニュージーランドで長く滞在したときに必ず感じることだと思うし、どちらかと言うと、感じるよりも、どうしても考えてしまう項目なのだとも思う。
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私は今年で人生の4分の1はニュージーランドで暮らしている勘定になる。わかりにくく言えば、生まれてから4日に1日はニュージーランドにいることになる。ニュージーランドで暮らし始めた頃から今日まで、事あるごとに、ニュージーランドと日本の違いについて、感じ、考えてきたように思う。なぜだろう。ニュージーランドに移住する前からニュージーランドと日本は違う点がたくさんあることはわかっていたし、違ってあたりまえだし、違うから移住してきたのだとも思う。
違いについて考えることで、自分の中で何をしようとしているのだろう。「やっぱり違うね」と言うことなのだろうか。「違っていてよかったね」と言うことなのだろうか。「違いを考えること」自体が楽しいのだろうか。日本の新聞を読んだとき。日本の友達と話をしたとき。ニュージーランド人と一緒に仕事をしたとき。ニュージーランド人と議論をしたとき。ニュージーランドと日本の違いを感じ、それについて考える。確認しているのだろうとも思うが、一体自分は何を確認したいのか、よくわからない。
ニュージーランドと日本というだけに限らず、「違い」というのは重要なキーワードだと思う。極端にしかも大雑把に言えば、世の中何もかも違う、のだと思うし、違うから自分がある、のだとも思う。
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