時間はランダムな点の集合

いろんな人がいろんなことで悩んでいる。私も小さなことで悩むことも多い。

そしてよく考えてみると、悩みの95%くらいは、将来に対する不安と過去に対する後悔であるように思う。つまり悩みのほとんどは、今、この瞬間のことではなくて、将来や過去と言った時間に付随することだと言える。つまり、今起こっていることよりも、将来起こるかもしれないこと、あるいは、すでに起こってしまったことについての悩みがほとんどだ、ということだ。

以前にもこのブログでも書いたように思うが、多くの人は時間は過去から未来に一直線に流れていると考えているが、実際はそんなことはないのかもしれないと私は感じている。私のイメージでは、空間のある点に存在している「今」があり、その次の時間は右斜め前であったり、左下であったりする。つまり、一直線の流れというよりは、全くランダムな点の集合が時間であるようにも感じる。だから、十年前がすぐ上にあったり、明日が後ろにあったりする、というイメージだ。

時間に関しては、学者さんたちがいろいろな説を唱えているようだ。ミクロの世界では、時間は未来から過去に流れているとか、時間そのものが存在しないとか、そういう、私たちの普段の感覚では理解することが非常に難しいことも、実際に言われているようだ。

もし、時間が未来から過去に流れていたり、時間そのものが存在しなかったりするのであれば、普段私たちが悩んでいる、将来に対する不安や、過去に対する後悔というものは、一体何なのだろうか、と思う。そもそも、「今」この瞬間以外の時間が存在しないのであれば、将来や過去といった時間の上に乗っかっている悩みも、存在しえないことになる。

そう考えてみると、時間が過去から未来に一直線に流れている、という固定観念を捨ててしまえば、将来や過去と言った時間に付随する悩みも、ほとんどがなくなってしまうのかもしれない。将来のことを悩むときに、一直線に伸びた「時間」の先をイメージしたり、過去のことを悩むときに、「今」の後ろに依然として存在する過去をイメージすることができなければ、そもそも悩むこと自体が難しくなる。何を対象に悩めばいいのかという、その対象を失ってしまうからだ。

時間が未来から過去に流れているとか、時間そのものが存在しないとかいうことは、普段の生活からでは感覚的に理解が難しいが、うそではないと思う。うそではない、というよりも、一つの真実だと思う。

だから、将来に対する不安や過去に対する後悔で悩んでしまう時には、悩みそのものではなくて、悩みが乗っかっている「時間」というものを、一度根本的に捕らえ直してみるのがいいのかもしれない。

「時間」については、またこれからもいろいろと考えてみたいと思う。

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