そこが欠点だと言われていても

昔はいいことだと思われていたことが、今ではそうでもないと言われている、ということも多い。

牛乳を飲めば背が伸びると多くの人が信じていて、中学校の体育クラブの生徒達はみんなガバガバ牛乳を飲んでいたけれど、最近はそうでもないようだし、めがねをかけると視力が落ちると言われていたけれど、今はそうではないという人も多いようだ。

牛乳やめがねに限らず、もっと広い意味で、昔に信じられていたことが今ではそうではない、ということもたくさんある。

そう考えると、今はこうだ、と信じられていることが、何十年か後には全く違う、ということにもなるのだろう。時代が変われば、いいことがそうでもないことにもなるし、よくないと言われていたものが、とてもいいことだと評価されるようにもなる。

だとすれば、例えば、今は人の欠点と言われていることが、将来はとてもいいことだと言われている、などということもあるかもしれない。

例えば、恐がりであったり、落ち着きがなかったり、人の話を聞かなかったり、今は「欠点」と言われていることが、近い将来は「とてもいい」部分として評価されるようになるかもしれない。

だから、今例えば、「あなたは恐がりだから、そこをなおせばいい」とか、「落ち着きがないところを何とかしないと」などと言われている人は、ひょっとしたら将来はそこが評価されるようになるかもしれないと信じて、その「欠点」とうまくつきあって、大切に育てていってもいいのかもしれない。

今、「欠点」と言われている部分は、欠点ではないのかもしれない。将来はその「欠点」を持っている人の時代が来るかもしれないのだ。

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